物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

「秀才」の陥穽

院生の頃言われたのは、馬鹿な質問ができないといけない、ということ。これは二重の意味があって、主体的に、馬鹿な質問かなと思っても勇気を出して質問できるぐらいでないといけない、ということと、馬鹿な質問を歓迎する雰囲気を作らないといけないということ。

 少し補足すると、問題を提起するためには、まず、「xxxが分からない。」と、言うことばを口にする覚悟と勇気がないといけない。秀才にはこれができない人がいる。何でも分かってしまう人、了解してしまう人がいる。そういう人はきっと独創的な研究者にはなれない。分からない、了解できない、という不安定で不愉快な気分に耐えて、その解消の努力ができる人、具体的な努力の仕方、作業の仕方を知っている人、がgood researcherである。

 日本人からオリジナルな仕事が出にくいのは、みんな一生懸命勉強してそれからはずれることを恐れる秀才病が蔓延しているからではないか?たとえば、アメリカでは、一見馬鹿なアイデアから出発して、議論し、アイデアを洗練し、最後には元のアイデア換骨奪胎して、りっぱな理論に仕上げる、ということがよくあるように思う。背景には仲間への信頼があり、お互い信頼に足る個人に成長し合う、という暗黙の了解があるのではないだろうか。好きな言葉に「情けは人のためならず。」というものがあるが。

普通の秀才集団としての研究室やプロジェクトチームでは、その秀才風を乗り越えない限り、せいぜい二流の一流にしかなれない。欧米のだれかが提起した問題をできるだけ早く、きれいに解く。研究の流れを作るためには、解くことではなく新しい問題を見つけないといけない。日本の教育で育った秀才は、誰も言いそうにない問題を見つけるのは心理的に難しいと思う。むしろ、自分は鈍才である、と自認している人の方がオリジナルな発想ができるのではないだろうか?

   「秀才なおもて論文をものす、況や鈍才をや!」

               

                 (2009/03/16に書いた記事を一部整形)

 

 

大江健三郎「万延元年のフットボール」についての思い出

500ページ足らずの(大江の作品ではない)小説を3年がかりで読んだ。達成感はあるが、何がいいたいのか分からない。人生の終わりを切実に感じている老人の生き方を描いていることは分かった。その点で年齢を自覚するものとして考えこむときが何回かあった。しかし、全体としては、構成があまりにも難解。時間が経てば意味が分かるようになるのかもしれない。(これを書いて5年後の注記:今ではこの小説の題名も作者の名前も全然思い出せない。)

ところで、何年もかかって読んだ小説はいままでに何作かある。最初は、「ジャン・クリストフ」。途中、合計1年ぐらいの中断を経て3,4年かけて読んだ。ずっと、感動していた。次は、大江健三郎の「万延元年のフットボール」。学部時代に読み出して、読み終えたのは40歳台。大江がノーベル文学賞を取ったときをきっかけとしてだった。実存主義四国の森の土着の世界観、そして天皇制民主主義の主題が渾然一体となっていて、しかもその文章の圧倒的な詩的喚起力に翻弄されて、20歳、30歳台の私には読み進むことができなかった。各章の表題が谷川俊太郎の詩の一節から取られていた。今も思い出す引用されていた一節は「本当のことを言おうか!」。この表題だけで怖くてそれ以上読み進められなくなった。今ではちょっと信じられないが。大江の才能は散文による詩的イメージの構成の卓抜さにあると思う。

天野清「量子力学史」、カント

天野清著「量子力学史」(自然選書 中央公論社 1973年刊)を読み終えた。ただし、付録を除く。筑波出張とその後の置き忘れというトラブルのために、その読みが中断していたのであった。今日読んだところは量子力学の核心に当たるところであった。§16 量子力学における物理的量の状態の概念、§17 観測と統計、§18 相反補足性(Komplementaritaet)、§19 相反補足性の概念、§20 相互排他補足性 --- (統計力学熱力学の関係)

ガリレイによって物理学の方法が確立して以来、実験は人間が観測したい量を計るための自然への積極的な働きかけである。そこでは、計りたい量に対応した装置が用いられる:カントは「純粋理性批判」第二版序文で、ガリレイトリチェリの実験の計画性を指摘して、自然から単に教えられる生徒でなしに、答弁を証人に強ゆる裁判官として向かうことを、言いかえれば理性が自ら自然のうちへ挿入した原理に則って自然において求めなければならぬことを、物理学における思考法の革命と呼んだ。

それは量子力学においても同じである。複雑なのは、人間が認識するには巨視的な装置を介在させ、最後には古典的記述にまで「射影」しないといけないことだ。観測過程における「電子」と観測装置との相互作用はもちろん量子力学で記述される。スクリーンでの位置の測定は、ある位置に置かれたスクリーン全体と「電子」の相互作用に他ならない。問題はそのスクリーンを構成している物質と「電子」の相互作用の記述がすこぶる複雑で あることだ。相互作用ハミルトニアンは書けても、「電子」とスクリーン分子が反応した後の黒点の巨視的な析出を量子力学的に記述することがすこぶる難しい。物理学が進めばできるかもしれない。

しかし、1点の位置観測で波束の収縮、などと大げさにいうのは納得できない。波動関数は「予測目録」である。何回も同じ実験をして何がどのような確率で起こるかを教えるものである。1回のイベントについては何もいう能力を持たない。それは量子力学埒外である。

最後の章は量子統計の基礎についてであった。フォン・ノイマン、パウリ-フィールツ、エルザッサーが基礎的な貢献をしているらしい。ノイマン1929年「量子測定が一般には不可逆で、系のエントロピーを増大させる。」ことを証明した。一方で、彼は量子力学因果律を破っている、という間違った解釈を強調する。その数学は正しいのだろうが。

この本で紹介されているカントは鋭い。(何を今更!) 自然の客観的存在の前提として因果律がある、と言っている。量子力学ができはじめたころ、ウイーンを中心に経験批判論が流行り、観念論的な傾向が強かった。自然認識の主観的側面、自然の客観的存在を否定する傾向である。若くて当時の流行思想に敏感だったハイゼンベルグも不必要に自然認識における客観性を否定するかのような言辞を弄していた。フォン・ノイマンもそうだったのであろう。因果律の否定は自然の客観的存在を否定するための橋頭堡であったと考えられる。(2008/12/21記)

ルネ・レイボヴィツ

NHKFMでルネ・レイボヴィツ指揮のベートーベンの9番を聴いた。1昨年末のことだった。それがレイボヴィッツを初めて知ったときだった。

ローマフィルハーモニー管弦楽団

交響曲 第9番 ニ短調 作品125“合唱つき”」

(ソプラノ)インゲ・ボルク、(アルト)ルート・ジーヴェルト、(テノール)リチャード・ルイス、(バス)ルートヴィヒウェーバー、(合唱)ビーチャム・コラール・ソサエティー、(管弦楽)ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、(指揮)ルネ・レイボヴィツ

凄い!初めて聴く力強い第一楽章。この解釈、演奏、大好きだ。彼のベートーベン全集は有名なのだそう。(Wikipedia)買おうか?

今全曲聴き終った。感動で何度も涙がこみ上げてきた。4楽章のバリトンソロは、神の人間世界への現出であり介入であると思った。最後は神の祝福を受けて共同体の祝祭があり、そして神と人間共同体がともに歌い祝福しあう中で曲は終わる。祝祭と祝福におけるピッコロのトリルや速いパッセージがそれを彩り盛り上げる。

今まで聴いていた第9は何だったんだろう、と思われる斬新な、しかし正当な解釈を聴いたと思った。

実際、レイボヴィッツが初めてベートーベンスコア通りのテンポで演奏したそうだ

E・H・カー「新版 カール・マルクス」(未来社、1998)

あるブログtwitterを読んでいたら、50年ほど前に訳が出たE・H・カーの「カール・マルクス」が、「マルクス主義」がマルクスの若いときに構成された未熟な思考体系である、と明快に批判している、というようなことを書いてあった。このような観点からのマルクス批判は新鮮だし、納得がいくような気がしたので、急に興味がわいて図書館から借りてきた。そのうち2章にわけて、マルクス主義の内容と批判が書かれていた。実はそこだけ読んでみた。以下、記憶による覚書:

 哲学唯物論弁証法)、政治学経済学からなるマルクス主義理念マルクスが20歳代中ごろまでに構成された。それぞれドイツフランス、そしてイギリスで構成された。特に、経済学イギリスに行ってから死ぬまでその完成に苦心惨憺し、未完かつ失敗に終わった。

哲学ヘーゲル観念論においては、正・反・合は思惟の一つの過程である。マルクスは、フォイエルバッハ唯物論(それはただ絶対存在を「物」と言い換えたものに過ぎない。「物」のそれ以上の具体的に掘り下げた分析や概念規定はない)を経て、すべての自然過程を正・反・合によると想定した。それは通常の哲学(学問)では、そこから学問的分析が始まる「予想(conjecture)」に過ぎないはずのものであるのだが。

 経済学:1) 労働価値説は当時の経済学では陳腐で常識的なアイデアであった。しかし、「資本論」の中でマルクスにより誠実に説明されたその学説は自己矛盾や循環論法に陥ったものになっており、無残にも自己破綻している。それは壮大な「マルクス経済学」のすべての基礎であるにもかかわらず。しかし、そういうことはあり得ることである。キリスト教の基礎は、不合理に満ちているが、それでもそれを認めてしまえる人にとっては意味のある思想体系が成立しているのである。

しかし!2) 資本家を打倒し、、資本主義を転覆させる「憎悪の革命」を成立させるはずの「剰余利潤学説」も破綻している。これが成立するための条件が限定的過ぎる。しかし、その前提はその後の歴史経過の示す事実と矛盾している。そもそも、利益が労働者資本家に分配される、ということはアダムスミスに書いてある。後者を意味ありげなレトリックで「剰余利潤」と言い換えたに過ぎない。そこから、不当性が示唆され、憎悪の革命が正当化される。実は、論理は逆である。「憎悪の革命」を正当化するための論理として「剰余利潤」の学説が提起されたのである。そして、その論理は、しっかりと読み込む読者には破綻していることが明らかである。しかし、「資本論」を最後まで読み通す注意深い読者はこれまでほとんどいなかったのだ。「資本論」で証明されている(らしい)、ということだけが宣伝され、ほとんどの人がそれを信じて「革命運動」の実践に勤しんだ、ということなのだ。

感想:

日本でなぜ「マル経」があれほど猛威を振るったのか?まったく不思議に思うようになった。

アニメ映画「この世界の片隅に」

この世界の片隅に」を観た(今年始めのこと)。母と同世代の主人公に感情移入し、戦争時代のしんどい暮らしが痛みのように伝わってきた。娘たちも嫁いでいる。主人公が母とそしてときには娘たちと二重写しになる。主人公の戦時下の困難な環境の中でのけなげな奮闘と苦労を見ると愛おしくしてしょうがなくなる。そして、米軍の落とした時限爆弾で義理の姪を亡くし、そして自分自身も効き手である右手を無くしてしまう。大好きな大好きな絵を描くことがもうできない。もうそのあたりから涙が出て止まらない。映画が終わってタイトルロールが5分ぐらいあったけど動く気になれず、椅子にじっとしたままだった。涙の処理もしなくてはいけないのでembarassingであった。

 帰宅して、インターネットで原作者のことや映画のことを調べたり、とてもよかった音楽家コトリンゴのことを調べたりしている間2時間ほどずっと涙が止まらない。

 その後も、映画のポスターの主人公すずの顔を見るだけで涙があふれてくる。涙でまぶたが腫れたままである。

主人公が買い物をする広島の繁華街、中島地区。その上で原爆が爆発し、廃墟となった地区の上に盛り土がされ作られたのが今の平和公園!そんなことはじめて知った。日常が描かれているからこそ初めて知ったことだ。

伏見関数と密度行列のQ表示についての覚書

    量子統計力学における基本的概念はvon Neumanによって導入された密度行列ρ(q,q’)である。von Neuman自身は混合状態だけでなく純粋状態にも適用される概念として導入している。密度行列は配位空間に足を持つ行列である。密度行列をWigner-Weyl変換して作ったものW(P,Q)をWigner関数と呼ぶ。これは位相空間上で定義されており、古典統計力学における分布関数との対応が見やすい。しかし、Wigner関数は正定値性を満たさず正規の分布関数としての資格を持たないので、擬分布関数と呼ばれる。Weyl変換は表示の変更であり、量子力学の内容としては等価である。したがって、量子力学の不確定性関係により座標と運動量が同時に確定した値を持つ状態は存在しないのだからWigner関数が正定値性を持たないのは当然のことであると理解される。 

   1940年、伏見康治は「密度行列のいくつかの形式的性質:Some Formal Properties of the Density Matrix」という論文を書いた。これは当時30歳の著者の学位論文となった。この論文では、有限温度の量子系を扱う数学的手段として密度行列が取り上げられ、その数学的な性質や古典極限が議論された。その中で現在「伏見関数」と呼ばれる統計物理学上の重要概念が初めて導入された。すなわち、量子-古典対応を議論するなかで、(A)位置座標Qと運動量Pを持つ最小波束を導入し、量子力学の許す範囲での正準座標と運動量の不確定性の範囲で密度行列ρ (q,q’)を平均化(疎視化)し、位相空間での分布H(P, Q)を導入している。伏見はこれを「古典分布関数」と呼びρcl(PQ)と書いているが、これがまさしく現在「伏見関数(Husimi function)」と呼ばれるものの最初の出現であった。伏見がこれを「古典分布関数」と呼んだ理由は、Planck定数ℎをゼロに取る極限でこの分布関数がMaxwell-Boltzmannの古典分布関数に一致し得るからであった。

 (A)の最小波束による平均化は現代の用語ではコヒーレント状態表示を取ることと等価であり、コヒーレント状態の概念の一般化により伏見関数の一般化が可能となる。また、伏見の行った粗視化の作業は純粋状態にも適用でき、それはWigner関数を疎視化することに対応する。さらにそれはWigner関数が特異的になる位相空間の領域、すなわち、次の不確定性関係  

                 ΔQΔP=h/4π

で与えられる位相空間の範囲について疎視化しているため、伏見関数は(半)正定値性を獲得している。

   伏見関数がWigner関数の最小波束で「平均化」してものであることを明示的に示しているのは、たとえば、Takahashi and N. Saito, Phys. Rev. Lett. 55, (1985), 645;Prugovecki, Ann. Phys. (N. Y.) 110, (1978), 102.; Weissman and J. Jortner, J. Chem. Phys. 77 (1982), 1486.

    コヒーレント状態を顕に用いた密度関数のQ表示の最初の提案は量子光学の文脈で加野泰によって行われた(Yutaka. Kano, J. Math. Phys. 6, (1965), 1913)。加野はここでコヒーレント状態を用いたQ関数の顕な表式Q=<α|ρ|α>/πを与えている。しかし、Q表示と伏見関数との関係は言及されていない。現在ではこの表式も「伏見のQ表示」と呼ぶことがあるが、歴史的には正しくない。「加野のQ表示」あるいは「伏見-加野のQ表示」と呼ぶのがより適切ではないだろうか。

 伏見関数とこの量子光学で使われるQ表示が明示的に同一のものとする認識はTakahashi, J. Phys. Soc. Jpn., 55 (1986), 762.

一般の半単純リー群のコヒーレント状態(A. Perelomov)へ伏見関数の概念を拡張したのは、Karol Zyczkowski, Phys. Rev. A 35 (1987), 3546、である。それを用いて、杉田歩は伏見関数の2次のモーメントの顕な表式を与えた:A.Sugita, J. Phys. A: Math. Gen. 36 (2003), 9081.

 伏見関数が非負のために半古典的な分布関数としての意味を獲得し、エントロピー的な量を定義し議論することができる。それはWehrlによって導入されたのでWehrlエントロピーと呼ばれている(A. Wehrl,, Rev. Mod. Phys. 50 (1978), 221)。Wehrl自身は「古典エントロピー」と呼んでいる。

 伏見関数は量子-古典対応が問題となる課題において有用な手段として使われている。たとえば、量子系における(古典力学でよく定義された概念である)カオス性の記述に有用である。たとえば、「量子リャプーノフ指数」なるものも定義されている:M. Toda and K. Ikeda, Phys. Lett. A 124(1987),165. 上記、杉田のモーメントの計算も量子カオスを定義する試みのなかで行われた。 

  この論文を書いたとき伏見は1932年にできたばかりの大阪帝国大学物理学教室の30歳の若い助教授であった。この論文をもとに学位を取得し1940年に教授に昇任した。このときの当物理学教室の主任教授は八木・宇田アンテナで有名な八木秀次である。また、1949年に「中間子論」でノーベル物理学賞を取る湯川秀樹は少し年長の同僚だった。伏見は湯川がその共同研究者の坂田昌一(後に、武谷三男小林稔も加わる)と中間子論を作り発展させていくのを間近に見ていた。伏見自身は形式上、(海外留学中の)友近晋教授(流体力学)の研究室所属であったが、原子核実験物理学の菊池正士の指揮下で青木(熊谷)寛夫とともに原子核物理学の研究を盛んに行いながら理論研究も行っていた。また、伏見論文の出た1940年には後に一般ゲージ理論を創始した内山龍雄が大阪大学を卒業し副手に就任した。できたばかりの大阪帝国大学物理教室は綺羅星のような研究者が互いに競い合い世界をリードする成果を世に問うていたかのようである。

                                                                                            2017年5月29日記