白州正子「いまなぜ青山二郎なのか」、小林秀雄のこと

何年か前、NHK白州次郎の人生をドラマでみせていた。そこで、白洲正子の先生として青山二郎なる人物が出てくる。ドラマでは市川亀二郎が演じていた。初めて聞く名前の人だが、エキセントリックで気障で破滅的でとても魅力的な人物に描かれていた。お気に入りの本屋をうろうろしていたら、白州正子コーナーがあり、それに並んで青山二郎コーナーもあった。ここの本揃えは心憎いばかりだ。いろいろ考えて、白州正子の「いまなぜ青山二郎なのか」と「青山二郎全文集 上」を買った。

 まだ全部は読めていないが、関係した人物として戦後の文化人の名前が続々と出てくる。特に、小林秀雄河上徹太郎大岡昇平。そしてその関連で中原中也坂口安吾。女性では、竹原はん、宇野千代、そして聞いたこともなかった坂本睦子。彼ら男達の野獣のような自由な「行動力」に驚いてしまう。その「行動」の対象に坂本睦子と言う人がいたらしい。 

 小林秀雄青山二郎に、お前の書いたものは上手に奇を衒って書いているので読ませるが、肝心のテーマが、対象がすっぽりと抜け落ちているではないか!だめだなあ!、とか批判されて、言葉も返せず何度も泣いていたそうだ。

 その小林はしばらくは文学評論から遠ざかっていた。(晩年に本居宣長の大長編評論を書いています。が、以下のエピソードは戦後すぐの話。)それを辰野隆東大教授に指摘されて、はい、もうあんな狭苦しい世界からはおさらばです。いままで精神がどうかしていました、というようなことを言っている。確かに、「モーツアルト」や「ゴッホ」、「セザンヌ」などという評論を書いています。しかし、これらが青山二郎によれば失敗作なのでしょう。小林秀雄はその座談が一番いいらしい。

 私も十数年前に少しは教養を身につけようと、小林秀雄を何冊か買ってみたことがある。そのときの感想は、何だこれは、凡庸な、ということだった。「モーツアルト」など途中で楽譜があったりするので、(楽譜が読めない人には)何か高級そうにみえたのかもしれないが、私には参考文献からの引き写し以外、素人の無内容な感想としか読めなかった。これには正直驚いた。

 高校のときの国語の教科書に小林の「無常ということ」(「無常といふこと」だったかもしれないが、確かめていない)が載っていて最高級の日本語のエッセイということで読まされた。しかし、何回読み直しても霧の中を歩いているようで何を言いたいのか皆目分からず、自分は国語はできない人なのだ、いう敗北感だけを持った覚えがある。しかし、それから何十年、自分でも明快に理解できる文章がちゃんとあることを知り、自分自身も論文や仕事上のドキュメントでいろいろな文章を書くという経験を経た今小林の文章を読むと、これはいけない、むしろ、にせものだ、という感想しか浮かばない。

 私の正直な感想はこんなものがありがたがる日本の文化の二流性だったが、実際はそれほどひどくない、ということを上記の白洲正子の本によって知った。身近の人たちは小林の「にせもの性」を見抜いていたようなのだから。しかし、奇を衒った小林の文章を高級なものとしてありがたがる多くの「指導的知識人」がいたのだ。だから、高校の教科書にも出ていたのだったろう。

 最後の畢生の大作「本居宣長」にしても、小林秀雄賞を受賞した橋本治に、小林秀雄は根本のところで本居宣長を読み誤っている、本質が全然つかめてない、と「小林秀雄の恵み」で批判されているのは、皮肉なことだ。