物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

「高等遊民」と昭和の庶民のエートス

 片山杜秀「未完のファシズム---「持たざる国」日本の運命」(新潮選書 2012)では、日露戦争後、日本人は勝利に浮かれて精神の基盤をなくし、新たな倫理的基盤の構築を急いだ。江戸時代の儒教的倫理が死に絶えたのだ。。。そこで、たとえば、人格主義。「三太郎の日記」に典型、しかし、結局根無し草、というような話になっていた。

 しかし、これは、漱石がよく描いた「高等遊民」階層の話であり、庶民の間には長らく儒教的な倫理が残っていたのではないか、というのが私の観測である。というのは、私は子供のころ無茶をしてけがばかりしていたが、そのたびに母から

 「親からもらった身体を傷つけるは一番の親不孝者だ。」

とひどく叱られた。(ついでに、また、テレビに天皇が出るたびに我が家は厳粛な雰囲気になった。)論語に、

とあるように、これは、根強い儒教の影響を如実に表している。もちろん、これは太平洋戦争が終わって20年近くも経過し、日露戦争から半世紀以上経ったあとである。私の母の家系は伊予のある小藩(小松藩)の家老の家だったということを耳にはさんだことがあるが、禄を失った後当時は何とか細々と炭屋をしていた。全くの庶民である。母方の祖父は日露戦争二百三高地の戦闘に参加した。斥候に出て無事戻って来たので金鵄勲章をもらったそうだ。

 どういうわけか、浄瑠璃のお師匠さんをしていて弟子を何人も持っていた。父方の祖父は士族の落ちで職人をしていたが、長唄の名取で杵屋の号を持ったた。。。大正時代は二人の青春時代であり、四国の小都市でも長唄浄瑠璃が盛んでかなり享楽的になっていたのかもしれない。子供のころ近くに住んでいるよそのおばあさんが「あんたとこのおじいさんの三味線の音は違っていた。(魅力的だった。)」、と言っていたと母が教えてくれた。三味線の音を響かせて、若い女性を魅了して回っていたらしい(?)、そんな祖父が私は大好きだった。

益川敏英先生の思い出/益川語録 (2021年8月15日/8月17日追記)

2008年度ノーベル物理学賞賞受賞者の益川敏英先生が先月7月23日に亡くなられたとの報道があった。稀有な独創的研究者であった益川さんの個人的思い出を備忘録的に書き留めておく。

1) 私が学生だったとき、益川さんは素粒子論研究室の助手だった。この研究室には助手の先生が3人いて、後の二人は坂東昌子さん(後の愛知大学教授、日本物理学会会長)と小林誠さん(2008年度ノーベル物理学賞受賞)だった。助手は3回生の演習を受け持っていた。私の解析力学/量子力学力学の演習の担当が坂東さん、電磁気学演習担当が小林さんだった。

 演習のクラスはいくつかに分かれていて、他のクラスを益川さんが担当していた。そのクラスにいた友人と後で会話したところでは、この友人は普段は人を尊敬したり褒めたりすることの(めったに?)ない人間であったと思うが、益川さんにはいたく感銘を受けたようで、授業の後、「今何を研究しているんですか?」などと質問した。すると、益川さんは

    「物性物理、特に超伝導の理論を勉強している。」、

と答えたらしい。素粒子なのになぜ超伝導を研究しているのか、我々は不思議に思った。

実は、現代素粒子理論の基礎は超伝導理論をひな形とし規範としている、と言える。南部陽一郎先生の「自発的対称性の破れ」は超伝導のBCS理論の記述する超電導状態がゲージ対称性を破っていることの意義を深く理解することを動機としている。超伝導の有効理論であるギンズブルグ^ランダウ理論は標準模型ワインバーグ-サラム模型)の基礎となったヒッグズ理論の非相対論版だ。南部さんとマンデルシュタムによって独立に提唱された「クォーク閉じ込め機構」の有力な理論はギンズブルグ-ランダウ理論のある種の拡張だ。

2) 益川さんが基礎物理学研究所の教授で京都に戻ってきた後に開かれた研究会のある日、昼食後の休憩時間に名大の安野先生(名大教授:当時)と私の指導教官の玉垣さん(玉垣良三京大教授:当時)と益川さんの研究室に「遊びに」行ったことがある。その書棚を見た玉垣さんが、当時出たばかりの岩波講座「基礎数学」全24巻が揃っているのを見つけて、

  「えらいなあ、ちゃんとそろえて持っているんだ。」、

と言った。するとすかさず安野さんが、

  「いや、持っているだけでなくちゃんと読んでいるから凄いんだ。」、

と言われた。明らかに、京大、名大の著名な理論物理学の教授が益川さんの学識には一目も二目も置いていた。

 ちなみに、その後就職した名大出身の数学の同僚は益川さんの「趣味」が岩波の「数学辞典」を「読む」ことだと教えてくれた。

3) 同じく、益川さんが基礎物理学研究所の教授だったころ、当時「OD問題」と呼んでいた「後継者養成問題」に関して学術会議会員と京都近辺の研究者との懇談会があった(湯川記念館の2階北側に在ったコロキウム室)。当時院生だった私も陪席したその会議には益川さんも出て積極的に発言していた。その発言の中で、財政問題が議論になったときだと思うが、

  「お金は量子化されているから、、、」、

という耳を疑う言葉が聞こえた。しばらく後、私は勇気をふりしぼって、

  「先ほど益川さんがお金は量子化されている、と言われましたが、どういう意味でしょうか?」、

と尋ねた。すると、ちょっとしためんどくさそうな沈黙の後、

  「お金はすべて交換可能だから。」、

と言われた。確かに、量子力学的に記述される電子はどの電子も区別がなく交換可能だ。何という洞察力と頭の柔らかさか!、と衝撃を受けた。

 帰路、鴨川のほとりの木々の葉っぱの中の電子もこの自分が息している空気中の分子の中の電子もみんな同じで交換可能だ。どうしてだろう?そこで悟ったことは、電子はただ一つの電子場で記述される。電子場は宇宙で一つだけだ!だから、どこで見つかろうと電子はみんな同一。

4) 1983年から南部-ヨナラシニオ模型(NJL模型)をQCDの低エネルギーカイラル有効模型として位置づけなおしその有効性を例示するとともにその帰結を展開する仕事を始めた。1987年、QCDの非摂動的な特性の一つであるカイラルアノマリーの効果を記述する行列式クォーク間相互作用を含むようにNJL模型を拡張し、それを11月の基礎物理学研究所で開催された研究会で発表した。その内容をきっちり書いた研究会報告は翌年1988年7月発行の「素粒子論研究77 巻 4 号 p. D16-D32」に掲載された:https://www.jstage.jst.go.jp/article/soken/77/4/77_KJ00004790229/_pdf/-char/ja

その月に基礎物理学研究所で開催されたシンポジウム(於旧湯川記念館3階大会議室)に出席して後ろの方の席に座っていた時、休憩時間に、それまで個人的に親しく話をしたことがなかった(当然無名の)私に益川さんが会議室の階段を登ってどんどん近づいてきた。まさか、と思って緊張していると、あろうことか私の隣に座った。そして、 

%%%%

益川:「素研」に出ていたアノマリーを入れた南部模型を書いたのは君か?

 私:はい。

 益川:昔、小林君らとη'の分析をして、行列式型のクォーク間相互作用が存在しない                  といけないことを示した。

  私:あ、知っています。

 益川:引用しろ、と言うわけではないが、一応知っておいてもらいたい。

  私:いえ、是非引用させていただきます。

%%%%

実は、研究会報告を出したときはそのKobayashi-Maskawa(PTP44 (1970),1422)とそれに続くKobayashi-Kkondo-Maskawa(PTP49 (1973),634)を知らなかった。1987年12月に提出し5月に出版された論文(Phys. Lett. B206,385)にはインスタントンからその項を導出した't Hooft(1976)らの論文は引用しているが、Kobayashi-Maskawa/Kobayashi-Kondo-Maskawaは引用できていない。この7月のシンポの直前にたまたまその存在に気が付いた。痛恨の極みと言えるが、しかし、日本の国際雑誌Prog. Theor. Phys.に出版された彼らの論文はそのころはほとんど引用されていなかったのも事実である。その後、1994年に出版した総合報告(Phys. Rep.247 (1994),221)では、この行列式型相互作用をKobayashi-Maskawa-'t Hooft項(KMT項)と呼んだ。それ以降今ではかなりこの用語が定着してきていると思う。

 

 

 

5) 前世紀最後の年に基礎物理学研究所に移った。そのときの所長は益川さん。

 益川さんの研究室で辞令をいただいた。基礎物理学研究所で益川所長のもとでの所員のとき、所の運営に関していくつか印象深いエピソードがある。事の性質上具体的には書かないでおくが、そのいくつかは私が私立大学から国立に移ったことによる不適応と私自身の「軽薄さ」に関係していた、と書いておくことにする。

6) 所員になって数年後、益川さんの還暦祝賀パーティが京大会館であった(益川さんは1942年生まれ)。その場で聞いた趣旨説明によると、実はこの祝賀会は1年以上遅れていて開催されていて、益川さんはもう61(62?)歳になられている、とのことだった。お世話する人の落ち度か?と緊張したが、そうではなかった。挨拶に立たれた益川さん本人が事情説明をされた。それによると、こういう行事はいやで祝賀会をしたいとの申し出をずっと固辞していたらしい。ところが、ある尊敬する先輩からそういうのはありがたく受けるのが常識だ、と「たしなめられ」たので遅ればせながら祝賀会をしてもらうことにした、ということだった。

 そして、立食で行われた還暦祝賀会の会食の途中、益川夫妻が各テーブルを回りあいさつをされていった。私たちのテーブルに来られたとき、益川さんが私を奥さんに紹介してくださった。私の名前を言った後、少し私をじっと見た。そして決したように、「君はおっちょこちょいだね。」、と論評された。私はその自覚が大いにあったので、見抜かれているなあ、思いながら「そうです!」、と答えた。ところが、焦ったらしいのは奥さんの方で、夫を少し制しながら私を見て、「すみませんねえ。主人は変わっているでしょう?」、と言われた。すると反論するように、

益川:いや、理論物理をやっている者(研究者?)はおっちょこちょいじゃないと

   いかん。わしもそうだ。

私: ありがとうございます!

                                                                                                            

[追記:2021年8月15日]

7) 拙著「量子力学」(東京図書: 2018年)の監修者は益川先生である:

基幹講座 物理学 量子力学

監修とともに巻頭鼎談をしていただいている。この教科書は書き上げたとき530頁あり、それは編集者から一旦了解が得られていたのだが、出版社の要請で350頁ほどに1年ほどかけて縮めた。結果としてやはり難解になってしまったのは残念だ。ただ、ここに書いてある内容は量子力学の「プロ」を目指す人には最低限身につけてもらいたいことであり、その点は編集者の先生からも好評を得ている。いずれにしろ、益川先生の監修のもと著書をものすることができたことは光栄の至りである。

                              [合掌]

[η'について2021年8月17日補足]

 4)の箇所で出てきた「η'」とは質量が958Mev/c^2の擬スカラー中間子のこと。(カレント)クォーク質量を無視すると、フレーバーSU(3)の古典QCDラグランジアンはカイラルU(3)XU(3)対称性を持つ。実際の真空では、バリオン数U(1)と坂田-ゲルマンのフレーバーSU(3)の対称性が残るので、U(3)の対称性が自発的に敗れている。U(3)=U(1)XSU(3)の生成子の数は1+8=9個なので、擬スカラーの南部-ゴールドストーンボソンは9個ないといけない。実際は、カレントクォークは小さい質量を持つのでこれらの中間子は小さい質量を持つだろう:3個のπ(140),4個のK(495)、η(550), η'(958)!

このη'はNGボソンと考えるには重すぎるだろうというのが問題。U_A(1)問題と呼ばれた。この問題の解は古典理論で成立していた保存則が量子効果で保存されなくなる、という「量子異常(アノマリー)」(今の場合、「カイラルアノマリー」)の存在を考慮することにより解決する。詳しく知りたい方は、拙著「クォークハドロン物理学入門 --真空の南部理論を基礎として--」(サイエンス社: 2013年)をご覧ください: 

www.saiensu.co.jp

 

 

 

`Time Health' マガジンの教える5つの脳老化防止策

1.社会生活の維持

 多くの友人を持つ必要はなく数人でいいから日常的に相互作用のできる友人を持つこと。ボランティアやご近所づきあいが大切。ペットを通しての付き合いとか。

 社会性の維持と関連して重要なのが聴力の維持。

個人的な付き合いが難しい場合はSNSでもよい。Facebokとか。

 

2.ストレス解消のためのリラックス

 制御されているストレスはよい。しかし、ストレスを感じた後はリラックスする時間を作り、ストレスを解消する。音楽を聴くのはよい。それと良い睡眠をとる事。寝床でスマホはダメ。

 

3.運動

 これはいうまでもなく、脳の機能の維持と発達にすばらしい効果を与える。週に2時間半の運動(work out)と二日に1回の筋トレ。

頭を使いながらの運動はより効果的。スポーツやダンス。

外気を浴び、木々の緑の中での運動もストレスを軽減しメラトニンを増大させてよい睡眠習慣に繋がる。

 

4.よい食事

 地中海型食事がよい。野菜、肉、オリーブオイル、そして赤ワイン。

 

5.何か目的、目標を持ちそれを追求する

 “Do what you love,” 

 “Do more of it more deeply.”

 

 

 

 

 

time.com

亀淵 迪著 「くりこみ理論誕生のころ――一研究者の回想」(2016年、「図書」連載)

5年前の2016年、たまたま教室の図書室で見つけて読んだが、岩波の「科学」に3月号から連載されている亀淵 迪さんの

「くりこみ理論誕生のころ――一研究者の回想」。

これがすこぶるおもしろかった。(これは、その後の連載も含めて次の単行本として出版されているようだ:

亀淵 迪著「素粒子論の始まり 湯川・朝永・坂田を中心に」(日本評論社、2018年)。さらに、今ではKndleもある。)

 湯川、朝永、坂田らの話題について書かれたものは大分読んでいて新しいことはあまりないかもしれない、と思いながら読んでみたのだが、初めて知ることや改めて確認することがたくさんあって、現在掲載済みの2016年5月号の分まで一気に読んでしまった。
 たとえば、超多時間理論形式の

朝永-シュウィンガー方程式

は、本質的に同じ方程式は1937-8年ごろハイゼンベルクが書き下しているので、

ハイゼンベルク-朝永-シュウィンガー方程式

と呼ぶべきだなどと書いてある。
 また、パウリ-フィラースの正則化の基礎となる基本関係式は彼らの論文と同じ年に梅沢博臣さんがProgress of Theoretical Physics(戦後、湯川秀樹が創出した英文国際雑誌。後継誌はProgress of Theoretical and Experimental Physics)に出している。ただし、それは混合場の文脈でだった。この仕事をパウリがたいへん評価して、そのことを朝永に手紙を書いている。それは「素粒子論研究」(戦後発行された日本の素粒子論グループの機関紙)に掲載されている。このことを坂田先生はたいへん喜ばれたとか。。。

 2中間子論の最初のアイデア坂田昌一ではなく谷川安孝による、ということもちゃんと書いてある。(現在の)μをフェルミオンとする場合を坂田-井上、ボソンとする場合を谷川さんらが分担して検討する、ということになった。前者うまくいったので(!)、坂田が坂田-井上だけの論文を書いて出版してしまった!亀渕さんはこれを「不条理」と表現している。この事件のことは、中村誠太郎さんの本にも書かれていたように記憶している。これは「湯川秀樹朝永振一郎」(読売新聞、1992年)だったと思う。
 もっとおもしろいのは、ハイゼンベルクが朝永-シュウィンガー方程式につながる理論を展開し論文を書いてい入たころ、そこ(ライプチッヒ)に朝永は留学し、ハイゼンベルクの指導を受けていた。そうあの「滞独日記」(「朝永振一郎著作集〈別巻2〉日記・書簡」所収、みすず書房の世界。

 なぜ、そこで朝永は反応しなかったのか?その理由は、それまで朝永は「現象論(phenomenology)」の人だった。理研の実験研究を主とする仁科研究室付理論家の役割を担っていて、実験に即した現象論屋(Phenomenologist)」として活動していた。また、そこにはボスである仁科からの「圧力・期待(pressure)」もあったであろう。

しかし、帰国後朝永は現象論屋から理論屋(Formalist)すなわち現在でいう物理アーカイブの分類でhep-th系の研究者になった、すなわち、我々の知る朝永に変身したのである。そのきっかけは何であったか。。。というようなことも書いてある。
 ゴシップに類する話で個人的に興味深く思ったのは、梅沢博臣さんが東京の武蔵高校出身で町田茂(京大名誉教授:故人)さんと同級だったということ。ただし、梅沢はおじさんの手配で理科乙(医学系)所属で、成績優秀だったが東大物理の入試に失敗。あわてて入れる大学を探したら名古屋大の工学部ぐらいしかなかった。それで名古屋へ。しかし、猛勉強して、Whittacker-Watosonの`A Course of Modern Analysis'やフォン-ノイマン`Mathematical Foundations of Quantum Mechanics'(「量子力学の数学的基礎」)などを学部時代に読破している。
 ちなみに、この武蔵高校からは著名な物理学者が多数輩出している。高橋秀俊、戸田盛和、植村泰忠、早川幸男、有馬朗人等々。

吹奏楽部は体育会系?

 

 私は中学、高校と吹奏楽部に所属しクラリネットを吹いたり指揮をしたりしていた。高校3年生のときには、クラリネットパートはレベルの高い後輩で十分人数が足りていたし、高3になって急に指揮をやりたいと言い出した同級生がいて、彼から低音が足りないから(お前はギターが弾けるから!)ベースをやってくれと言われてコントラバスをやったりした。

中学のときには指導してくださった先生のおかげでNHKのコンクールで全国大会に出たりしたぐらいなので、かなり音楽三昧でまじめにクラブ活動をやっていたと言えると思うのだが、しかし、クラブ活動の時間(朝練と放課後7時過ぎまでやっていた)の少なからぬ時間は体育会系とほとんど変わらないことをやっていたように思う。

 

 吹奏楽だから肺活量が大事ということで、中学校の裏にある農道を通って近くの山までよく走らされた。ロングトーンの練習時間中に曲を吹いていたりしたところを見つけられたら、即座に腕立て伏せ30回とか、4階建ての校舎の階段を下から上までの往復を何回もやらされた。(金管はもっと野蛮だったがここでは書かない。)そしてよく相撲を取った。(私は、クラリネットの練習で「可愛がって」くれた先輩と相撲をして、思い切り投げ飛ばしたりして溜飲を下げていた。)ユーフォニウムユーフォニアム)をやっていた2歳年下の弟は相撲にのめり込んで、双葉山の連勝記録を優に超えるほど連勝を(吹奏楽部の中で)続けていた。この連勝記録は高校になっても続いていたらしい。ちなみに、弟はその後音楽大学を出て中学の音楽教師になって吹奏楽指導三昧の教員生活を送り無事定年まで勤め上げた、ということは彼のために付け加えておこう。

 

 高校に入ると、吹奏楽部内での体育会系活動が一層盛んになった。まず、入学した年。1年先輩のフルートはなんと二人とも男だった。そのまた独りは、半世紀前の筋トレマニア!で、毎朝、片足(!)スクワットをそれぞれ30回ずつだったか50回ずつだったかして学校に来るという人だった。同じ木管だったので練習がよくいっしょになったが、その練習の合間には、片手腕立て伏せを30回ほどしてみせてくれたり、20-30秒ぐらいの高速の50回の腕立て伏せとかしていた。当然、服の上からも分かるほど胸厚で、二の腕は太すぎて、夏などは半袖シャツがはちきれそうだった。水泳も無茶苦茶速かった。この筋肉隆々男がなぜ繊細・可憐なフルートを吹いているのか?、その違和感がずっと取れないままだった。もちろん、彼がフルートを吹いてサキソフォーンのような野太い音が出るわけではなく、ちゃんと、いやちょっと息切れ気味だったか(?)の音が出ていた。

 

 そして、告白すると、私も同じ木管仲間として彼にエライ影響されて、それからは先輩に教えてもらたように、毎日腕立て伏せやスクワットをするようになった。そして高校を卒業するころには片足スクワットが10回ぐらいはできるようになっていた。30回は到底無理だった。 その結果、大学入学後2クラス合同で行った体力測定では、たとえば、腕立て伏せ100回したのは私だけだったと思う。それも100回までしか数えてくれなかったので、100回でやめたのだった。1,2回生ころの私は腕立て伏せ100回以上平気でできていた。

 

 フルートの先輩が築いた体育会系志向は伝統としてすっかり根を下ろし、我が吹奏楽部は半分体育会系クラブのようになった。休憩時間は100メートル走をしたり、相撲を取ったりしていた。其のため、クラリネットの後輩Kの独りはその走力を買われてラグビー部のウィングにスカウトされて活躍したりした。(ラグビー部を指導していた先生は日体大ラグビー部のレギュラーだったという「プロ」。)実は。短距離走は彼とあまり遜色ないと思っていたので、少しうらめしかった。(私は高校のとき、走り幅跳びは5m38cm、垂直跳びは平均69cm、最高72cmだった。残念ながら高校のとき100メートルは計測する機会がなかった。それでも、入試勉強で体力は落ちてしまっていたはずの大学1年生のとき100メートルは12.8秒、2年生のときでも12.9秒だった。)その後輩君Kは進学した東京の私立大の名門ラグビー部でレギュラーになった。

 

 40歳代まではこの体力自慢だったが、気が付くと40歳代後半から50歳代、全くの運動不足になっていて典型的生活習慣病になってしまったのは心外この上ないことだった。今は、こういう思い出記事を書いて運動が習慣となる生活をイメージし、体力維持のできる生活を続けていきたいと思っている。。。

「しようと思ったことができない病」

10年前の岩波の「図書」(2011年6月号18-20頁)にこんな記事が出ていた。

阿部公彦(まさひこ)著「しようと思ったことができない病」
「...ひとりで運転しているとどうしても、CDの設定だの通算走行距離距離だの信号機の形だの道路沿いのガソリン価格競争だのと、どうでもいいことに目がいってしまう。それでいて長時間高速などを走っていると眠くなる。危なくて仕方がない。 ...本を読むときも本を読むことだけに集中した方がいいに決まっている。(が、できない。いろいろ考えてしまう。本が速く読めない。。。。)」


この阿部公彦という方はりっぱな英文学、それも英米詩の専門家先生のようだ。最近では、

鳥飼玖美子著「通訳者たちの見た戦後史」(新潮文庫

に解説まで書かれていて、その中の一文が文庫の「帯」に書かれている。そのようにりっぱに仕事をされている阿部先生は、自分が何とかやってこられたのは、もう一つの病を抱えているからだ、と自己分析を進められている。

すなわち、
        「しなくてもいいことをしてしまう病」

            

すばらしい、ですね。いろいろ。

いや、まず、「しなくてもいいことをしてしまう」から「しようと思ったことができない」のですよね? 

同病者としてよく分かります。よく分かるというか、このように言語化されると、そのことばに共感、共鳴して心の振幅が振り切れてしまいそうです。ここに「同病」の人がいる!(たぶん、ADHD傾向ということではないかとsuspectしているが。)

確かにこの「しなくてもいいことをしてしまう病」を私も自覚している。締め切りの迫っているような絶対にやらないといけない仕事があるときに決まって、他のことをやりだしてしまう。(高校のとき、定期試験の前に、突然、町の本屋に行って勉強に関係ない本を立ち読みしたり買ってきてしまったりする、といういつもの行動パターンからそれは現象していた。)そして、この「病」を発動させないように努力するのにエネルギーを使う。

 しかし!最近の分析では、阿部先生と同様に、この「しなくてもいいことをしてしまう病」をあんまり抑え込まない方が、むしろ精神衛生上はよさそうだ、ということも自覚してきている。「一病息災」。(一病ではないが。)

  

くりこみ群法と包絡線:最近のStrogatzのYouTube講義

驚いたことに、ごく最近、著名な応用数学者でベストセラー作家でもある米国コーネル大教授のSteven Storogatz氏のYouTubeでの人気講義で私の1995年の論文

Geometrical Formulation of the Renormalization Group Method for Global Analysis | Progress of Theoretical Physics | Oxford Academic

が講義時間の大半を使って紹介、解説された(4分25秒あたりから):

https://www.youtube.com/watch?v=6JN-DJuSFUY

 

これは、旧知の米国イリノイ大のNigel Goldenfeld教授のtwitterリツイートを通じて知った。(彼とはお互いフォローしあっている。)

 

Strogatzの講義は「Renormalization and envelopes (くりこみと包絡線)」となっているが、Goldenfeldも注意しているように、正確には

       「くりこみ群と包絡線」

とすべきだ。そして、応用数学でよく使われる漸近解析に物理の「くりこみ群」の概念/方法が有用であることを示したのが、1994/1995年に発表されたイリノイグループ(Chen, Goldenfeld and Oono(大野: CGO)の仕事である。

 

 忘れもしない、この論文の内容は1994年の年末、当時京都大学の蔵本研でポスドクをしていたGlenn Paquetteさんの龍谷大学瀬田キャンパスでの瀬田セミナーで初めて聴いた。世話係は小林亮さんだったと思う。ちなみに、小林さんはその後、北大、広大と移り、その間2回もイグノーベル賞を取っている天才。現在広大教授。

 驚いたことは、扱っている題材はごく簡単な微分方程式で、それを摂動論で近似解を求めるのだが、肝心のところでくりこみ群関係の物理用語を使う(have recourse to the notion of renormalization groups)。これが分からない。結果は、マジックのような、摂動展開の総和がされていて、大域的に振る舞いのよい近似解になっている。

 セミナー参加者は、理論物理の私を除くと、山口昌哉教授はじめみんな微分方程式の専門家ばかり(四ツ谷昌二、森田善久、岡宏枝、高橋大輔小林亮松木平淳太等々)。しかし、セミナー参加者の誰一人として、セミナーの内容が理解できなかった。私も、理論物理を勉強したものとして、微分方程式もくりこみ群も一通りのことは理解しているつもりだった。しかし、それを「組み合わせて」いるらしい、Glennの話の内容は全く理解不能だった。いわゆる「きつねにつままれた」とはことのことか、と思った。たいへんなストレス。

 翌年2月、大学入試が終わって1か月ほど自由な時間ができたので、RG法は一体なにをやっているのか理解してみようと思った。私の観点は、扱っているのは微分方程式という純粋な数学(解析)の問題なので、物理に頼らず、数学のことばで理解できるはずだ、ということである。つまり、彼らが「くりこみ群法」として行っている処方箋が数学としては何をやっているのかを暴き出そう、ということであった。

 簡単な例で「遊んで」、まず、彼らの処方箋のshort cutを見つけた。つまり、「中間スケール」μを導入して行う「くりこみ」は不必要である。すると、数学的内容が透明になったような気がした。そして、しばらくグラフを描いて考えていると、

  くりこみ群操作は包絡線を構成しているようだ!

と気が付いた。包絡線の理論は1回生のとき高木貞治「解析概論」(岩波書店)で勉強していて微かに記憶していた。あわてて、その箇所を覗いてみると、

くりこみ群方程式は包絡線方程式と同じ形をしている!

ということに気が付いた。人生で2度目の大きな興奮だった。

(もう一つは、場の理論で「真空の相転移」、つまり、「対称性の自発的破れ」を記述するのに使われる「有効ポテンシャル(Effective Potential)」が、1-loopでは自己無撞着平均場理論(Hartre-Bogoliubov 近似)で計算した真空のエネルギーに他ならないことに気が付いたとき。1983年3月10日ごろのことだった。対称性を破るような「異常な」平均場があるときの基底状態のエネルギーはπ凝縮の問題でいやというほど計算していた。その発見とこれまでのπ凝縮研究の経験がもととなって、Hさんとの共同研究が始まり、1994年のPhysics Reportsとなった:https://doi.org/10.1016/0370-1573(94)90022-1 これは幸運なことに今もよく引用されている。

 場の理論のくりこみ群による摂動論の「改善」もこの包絡線の概念で理解できることがすぐ分かった。この当時は、1994年のreviewを出版し終えたころであるから、場の理論のeffective potentialの扱いは慣れていた。

 しかし、こんな簡単な事実は世界中の誰もが知っているのかもしれない、と思い、手当たり次第、場の量子論の文献を漁ったが「包絡線」に言及したものはなかった。

 1995年、3月に物理学会年会が(確か、神奈川大で)あった。学会で九後さんが一人でいるところを見つけ、RG=envelopesのアイデアを述べ、知られていることかどうか、尋ねた。九後さんの答えは「知らない。初耳。」、ということだった。嬉しかった。すぐにでも論文を書きたかったが、興奮して作業に入れない。新学期が始まり講義で忙しくなった。高ぶって書き出せないのと書かないとこんな明白なことは世界の誰かがもう気が付いて論文を書いているかもしれない、とう焦りが拮抗した5月中旬、拙速でもよし、と開きなおり1週間で書いて投稿したのが上で引用した1995年Progress of Theoretical Physics 94に載った論文である(実際、拙速なのだが):https://doi.org/10.1143/PTP.94.503

イリノイCGOの論文では専ら微分方程式だけを扱っているが、この1995年のPTP論文では、最後のところで(量子)場の理論の有効ポテンシャルの改善がくりこみ点をパラメータとする曲線群の包絡線の構成として理解できることも示されている。

 ただし、残念で恥ずかしいことに、§4.1は間違った記述がある。Steven Strogatzの指摘で気が付いた。図および最終結論は正しいのだが、途中に正当化できない式の変形がある。ノートから論文にするときに、CGOの読者の便を考えて(私には複雑で使いこなせてなかった)CGOの処方箋を部分的に使ったために却って間違った式を書いてしまったようだ。今書いているモノグラフでは純粋な私の方法/処方箋で解説しているので混乱のもとはなくなっている。

(1) 一番すっきりする定式化/処方箋は時間微分について1階のベクトル方程式に直して、独立解の定義をベクトル空間の線型独立性として表現する方法である。これは私の1997年のProgressの論文(https://doi.org/10.1143/PTP.97.179)と

2000年のEi-Fujii-Kunihiro(https://doi.org/10.1006/aphy.1999.5989)でやっている。

(2) ベクトル表現を使わないでRG/envelope 方程式から独立な1階の方程式を導く「思想」もある。それは蔵本由紀氏(Prog. Theor. Phys. Suppl. 99 (1989), 244)による「縮約原理」である。縮約される方程式の簡単さと解の表現(不変多様体の表現)はトレードオフの関係にあり、縮約方程式の導出は必然的に曖昧さを伴うが、「縮約原理」は縮約方程式ができるだけ簡単になるように方程式と不変多様体を選ぶ、というものである。(2021年5月23日追記)