物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

ニーチェのミソジニーは自己嫌悪の表現らしい

以下、引用があって長いですが、高山秀三京都産業大学教授による、ニーチェについての興味深い指摘があります。
 
ニーチェの著作は読んでいないので知らなかったのですが、ニーチェが女性蔑視の言葉を書き連ねている、ということを聞いて少しひかかるものがありました。というのは、ニーチェは読んでいないけど、ニーチェに関する本は何冊か読んだことがあって、たとえば、
はおもしろく読めました。そこには、ニーチェがほとんどマゾのようであり、ルー・サロメザロメ)にほとんど召使のように仕えた、というような記述があったように思うからです。実際、ルー・サロメが鞭を持って、荷車に乗り、その荷車をニーチェともう一人の男が引いている、という「おぞましい」写真まで掲載されていました。 
 そこで、グーグル先生に聞いてみると、一番最初に次の興味深い論文が出てきました。
 
高山秀三著「少年期における三島由紀夫ニーチェ体験」(京都産業大リポジトリ)。
 
以下に、高山論文のアブストラクトを引用コピーします。
====引用はじめ=========
三島由紀夫は少年期からニーチェを愛読し,大きな影響を受けた。ニーチェと三島には,女
性ばかりに取り囲まれた環境で幼少期を過ごしたという共通性がある。女性的な環境で育った
人間が自身のうちなる女性性と戦うなかで生れたニーチェの哲学は,受動性や従順,あるいは
柔弱さなどのいわゆる女性的なものに対する嫌悪を多分に含んでいる。それは思春期の自我の
目覚めとともに男性的な方向に向けて自己改造をはじめていた三島の気持に大いにかなうもの
だった。戦時中,十九歳のときの小説『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』
は三島自身がニーチェのつよい影響のもとで書いたことを認める作品である。無差別的な大量
殺人を行なう「殺人者」の思いを日記体でつづったこの小説にあって,「殺人者」はその「殺人」
によって,失われていた生の息吹を取り戻す。この「殺人」は三島が目指す危険な芸術の比喩
であると同時に殺人という悪そのものである。ここには幼少期以来,攻撃性の発露を妨げら
れ,健全な生から疎外されているという意識に苦しみつづけてきた三島の,生を回復するため
の過激な覚悟が反映している。そしてこの覚悟は,三島と同様に女性に囲まれた幼少期を送
り,自分の弱さと世界における局外者性の意識に苦しみながら,男性的なヒロイズムをもって
自分を乗り越えていく思想を語りつづけたニーチェの戦闘的な著作への共感から生れている。         ====引用終わり=========
 
 そして、p.21にはニーチェの「女性蔑視」と「キリスト教ルサンチマン理論」を結び付けた以下の記述があります。
===引用はじめ====
謹厳な家庭のなかで道徳の抑圧に苦しんでいた少年にとって,悪とは何かという問題は精神の死活にかかわる重大事だった。哲学者となったニーチェが数十年を経てこの問いに与えた最終的な回答は,キリスト教道徳とは,生に対するルサンチマンにとりつかれた弱者たちの集団であるキリスト教会が強者を支配する道具として捏造したものであり,教会はみずからの支配に都合のいい善悪の観念を信徒におしつけているという理解だった。この理解には,寡婦であったり未婚であったりすることで社会的弱者であり,そのことにルサンチマンを抱く女性たちによって厳しい道徳的な支配を受けた幼少期に胚胎するニーチェ自身のルサンチマンを見ることができるだろう。ニーチェの考え方には,社会的弱者である家族の女性たちと,彼女らによって生のダイナミズムから遠ざけられ,弱々しく育った自分への憎しみが反映している。ニーチェの哲学に顕著な弱者への嫌悪は,たぶんに,みずからが育った女性的環境への嫌悪と,そこで育まれたおのれの無力性への嫌悪から生れている。
=====引用終わり===
 
つまり、女性蔑視発現は、自分の女性らしさへの嫌悪感の発露、だというのです。実際、ニーチェの部屋を訪れた人は、その部屋の「乙女チックさ」に驚いたそうです。また、ニーチェを特徴付けるふさふさした鼻ひげは、みかけの「男らしさ」を演出するために意識的にはやしたものだそうです。