物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

ヒルベルト空間の「可分性」:学生時代の苦い思い出

量子力学の講義を始めたころ、基礎固めのためヒルベルト空間論関係の数学の本を読んでみた(微分方程式と固有関数展開」(小谷眞一、俣野博著、岩波書店。昔知っていたことの整理程度にはなったが、始めて知る内容になると興味が続かなくて眠たくなった。具体的に使う必要がなければもう数学の本は読めない頭になってしまっているような気がする。

ただ、「可分」の概念が最初のうちに自然に説明されていたのはうれしかった。この本が50年近く前に出版されていたらフォン・ノイマンの「量子力学の数学的基礎」をもう少し読み進められたかもしれない。

 フォン・ノイマンの「基礎」では量子力学の展開される関数空間(ヒルベルト空間)は可分でなければならないと仮定されていた。当時この意味が分からなかった。日本語の本で「可分」を説明してくれているものがなかった。何度も読み返し反芻してノイマンの説明の意味は分かるようになったのだが。

 正確には、「稠密な可算基底の存在」が仮定される。つまり、実数の集合に対して、有理数の集合のような稠密な離散系の存在が仮定されないといけない、というのだ。だから、いきなりフーリエ変換使ってはいけない、フーリエ級数から出発しないといけない、ということになる?

 それは、超関数としてのデルタ関数の導入を通常の関数を用いた汎関数列の極限として行う、ということに対応するのだろう。このような「うるさい」議論が必要になるのは、固有値が連続スペクトルになるときである。その典型例が運動量の固有値と固有状態。実は、朝永のIIが丁寧によく書けていることにあらためて驚く。波束を構成しその極限として、運動量の固有状態の規格化条件のきっちりとした議論を行っている。これはGelfandの「三組」(`rigged Hilbert space')に対応する構成を行っている。江沢は有限領域から出発して無限大の領域への極限を取る。実は、ベッセル関数の直交性などこうしないと理解できない。こういうことが系統的に「見える」ようになったのは比較的最近のことだ。

 とはいえ、当時開き直ることもできない全くの独学だった私はここで、フォン・ノイマン量子力学の数学的基礎」を読むのをあきらめたのだった。こんな導入部分で、ポシャッてしまったのだった。大学2回生の春休みだった。

この本によると、ヒルベルト空間の定義は、実は、量子力学の数学の整備のためにフォン・ノイマンによってはじめて与えられたらしい。

 また、この「基礎」の内容の数学を展開する必要があったのは、ノイマンディラックデルタ関数を認めなかったかららしい。実際、上で言及したデルタ関数型で規格化される位置の固有ベクトルや運動量の固有関数はヒルベルト空間の外にある。よく知られているように、ディラックデルタ関数は、戦後L.シュワルツによって超関数(「Distribution」)として一般に定義された。それは、関数ではなくて汎関数(の核)としてではあったが。