物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

1970年代初頭のK大学教養部代議員大会の思い出

60年代と80年代後半に生まれた私と同じ大学出身の物理研究者と話していると、どういう話の流れか、彼らが60年代から70年代にかけての「学生運動」を活字でしか知らないことが分かった。それでは、と私の実体験を語り出したら長い話になってしまったことがある。それは私が唯一出席した教養部代議員大会の話だった。二人は初めて聞くらしいその異常性に興味津々の体で聞いていたようだ。そのうち私も忘れてしまうだろうから、覚えているうちに記録しておくことにする。(記録して何の意味があるか、と問われそうだけど、まあ、幼稚で未熟なものが正義感を持つと恐ろしいことになることがあるので、気を付けよう、という教訓になるかもしれない。)

=====思い出 1: 教養部代議員大会に出席したとき======

私が初めて、それもクラスの代議員として、教養部代議員大会に出たときはまだ成田空港が開港する前、開港できるかどうかも分からないときだった。

 会場は時計台下の法経第一教室。定員500名はあろうかという大教室だ。たとえば、湯川秀樹朝永振一郎の後援会はこの教室で聴いた。もちろん、満員。そのとき聴いた湯川秀樹の話ではW.ハイゼンベルクが講演したときは、もっと入場者がいて立ち見の人がいっぱいいた、と言って笑いを誘っていた。

 さて、その大会には、確か3つのセクトからの議案が出されていた。最初の二つは、穏やかなもので、私はクラス代表としてその一つに賛成評を投じた。しかし、両方とも賛成者不足で否決された。そして、最後の議案、

               前期(?)試験をボイコットし、三里塚闘争に連帯する。。。

というような内容(今考えても、文章の前半と後半がなぜ結びつくのか理解できない)が賛成多数で議決された。その途端!

その議案を提案していたヘルメットをかぶった学生たちが議場に携えてきていた角材をいきなりつかむと、法経第一教室の長い机の上を飛ぶように走ってきて自分たちの議案に反対した者たちに襲い掛かり角棒で殴り始めた。慌てて議場(法経第一教室)の出口に殺到する学生、間に合わず逃げ惑う学生で大混乱の法経第一教室。

 一人のヘルメット学生、よく見ると同級ぐらいの可愛らしい新入りのような顔をしていた学生が角棒を振り上げて私を殴ろうとしてきた。恐怖に震えながら私は、私のようなノンポリを殴ったりしたらあなたの角棒の穢れとなりますよ、と必死で目で訴えた。すると、その新入りらしい学生は私の説得を受け入れたように、振り返り彼の角棒の誉れになるような犠牲者を探し出した!

 その場はなんとか助かった私は、他の人たちと同様、私も出口に慌てて向かうと、その目の前を今度は突然建物の外から窓ガラスを破ってこぶし大の石が飛んで来る。思わず立ち止まる!R大学のピンクのヘルメットの「暁行動隊」(?)が助けに来たのだという。このことは後で聞いた。「ベテラン」の彼らは両セクトとも、学生大会が終わるとこういう戦闘になることを知っていたのだ!そして、市内の他の大学の同じセクトの学生に前もって応援を頼んで教室の外で待機してもらっていたようだ。実際、R大の「暁部隊」はヘルメット学生らにもその野蛮な「行動力」で怖れられていた。(後で知り合いの「ヘルメット学生」から聞いた。)

 しかし、私のような一般学生がまだ残っているのに、戦いのためには切り捨てるのか!、と政治の冷徹さにショックを受けつつ、しかし、残れば、角材でめった打ちにされる運命、外に出ようとすると通路には外からこぶし大の石が降っている、という事態に感傷にふけっている暇はない。進退窮まり、勇気を出して石に当たるのを覚悟で外を目指して出口に向かう。奇跡的に投石にあたることなく外へ出ることができた、と、そこでも出口を出たその目の前で角材を持った学生による殴打と逃げまどう学生がいる。そう、目の前で直径10センチぐらいの角材か丸太で倒れた人を殴っている、という現実とは思えない目を覆う光景。そして何と!学生を殴ったその棒が折れた!

 怖れ戦きながら吉田参道まで走って逃げ出た。無事怪我無くキャンパスから出ても、恐怖と興奮で心臓はばくばくと音を拍ち喉はからから。参道を西に東大路まで出て、やっと心臓の鼓動はようやく落ち着きを取り戻しはじめた。。。。
=====思い出1終わり======

====思い出2==========
思い起こせば、私の教養時代の試験は一度として正常に行われたことはなく、かならず「スト」という名のボイコットで延期になった。延期されたものの試験はちゃんと行われた。一部はレポートに振り返られたりしながら。実は正直なところ、その「スト」による延期のため、試験前になってやっと尻に火がついて勉強を始める私は何とか単位が取れたのであった。ストが無く正常に試験が行われていたら半分か3分の2ぐらいしか単位は取れなかったのではないだろうか。また、集中した試験勉強がまとまった期間できたので学力も何とかついた。特に、1回生の前期試験はこの「スト」がなければ危なかった。1回生前期で大学での勉強の仕方がつかめていなかった。気が付いたら前期試験!というので本当に途方にくれていた。

 このような普段の勉強が足りず試験前の勉強時間が欲しい学生が大半だったので、「スト」が必ず可決されたのではないかと思う。後半の「三里塚闘争連帯」は大半の学生には考慮外(no idea)だったと思う。

 「スト」が通ると、ヘルメット学生連中は教養部を封鎖(ロックアウト!)してしまう。シンパ教官以外は構内に入れない。そして、構内を「解放区」にする。ということで、今では信じられないが、「スト」が決まると当局も粛々と試験を延期する手続きを取った。
=====思い出2終わり=======

=====衝撃の後日談========
その頃のK大全共闘の委員長は全学の有名人だった。私よりも年上で学部も違うのだが、都立西高出身、文学部でドイツ哲学専攻で大学院入試前に原語でヘーゲルの「精神現象学」を読破したとかという伝説が伝わっていた。文学部の友達から聞いたのではドイツ語で「精神現象学」を読み通すということは院生でもできるかどうかのすごいことらしかった。

 彼は柔道何段とかいう強者で、対立するセクトの隊列の中に単独分け入り、殴られて彼を告訴・告発した学生を捕まえて「ぼこぼこ」にしようとしていた、と言う、ライオンかゴリラのような逸話も聞いたことがある。

 このようにこの全共闘の委員長は無縁の我々にも、何かこの世のものとも思えない「怪物」に対するような畏怖の対象であり、伝説の人であった。ごく最近、年長の共同研究者のXさんにこの「全共闘委員長」の名前を出したら、「ああ、Y君! 高校で同級生だった。」、と言われて本当に驚いた。このケーキと餡子の大好きないつもにこにこしている穏やかなXさんとあのライオンかゴリラのような(怪物)「全共闘委員長」Yが都立西高で同級生だったとは!二人が一時同じ高校に通っていた、そもそも何らかの繋がりがある、ということが想像を絶することのように思えたのだった。

 ====後日談終わり=====