物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

「しようと思ったことができない病」

10年前の岩波の「図書」(2011年6月号18-20頁)にこんな記事が出ていた。

阿部公彦(まさひこ)著「しようと思ったことができない病」
「...ひとりで運転しているとどうしても、CDの設定だの通算走行距離距離だの信号機の形だの道路沿いのガソリン価格競争だのと、どうでもいいことに目がいってしまう。それでいて長時間高速などを走っていると眠くなる。危なくて仕方がない。 ...本を読むときも本を読むことだけに集中した方がいいに決まっている。(が、できない。いろいろ考えてしまう。本が速く読めない。。。。)」


この阿部公彦という方はりっぱな英文学、それも英米詩の専門家先生のようだ。最近では、

鳥飼玖美子著「通訳者たちの見た戦後史」(新潮文庫

に解説まで書かれていて、その中の一文が文庫の「帯」に書かれている。そのようにりっぱに仕事をされている阿部先生は、自分が何とかやってこられたのは、もう一つの病を抱えているからだ、と自己分析を進められている。

すなわち、
        「しなくてもいいことをしてしまう病」

            

すばらしい、ですね。いろいろ。

いや、まず、「しなくてもいいことをしてしまう」から「しようと思ったことができない」のですよね? 

同病者としてよく分かります。よく分かるというか、このように言語化されると、そのことばに共感、共鳴して心の振幅が振り切れてしまいそうです。ここに「同病」の人がいる!(たぶん、ADHD傾向ということではないかとsuspectしているが。)

確かにこの「しなくてもいいことをしてしまう病」を私も自覚している。締め切りの迫っているような絶対にやらないといけない仕事があるときに決まって、他のことをやりだしてしまう。(高校のとき、定期試験の前に、突然、町の本屋に行って勉強に関係ない本を立ち読みしたり買ってきてしまったりする、といういつもの行動パターンからそれは現象していた。)そして、この「病」を発動させないように努力するのにエネルギーを使う。

 しかし!最近の分析では、阿部先生と同様に、この「しなくてもいいことをしてしまう病」をあんまり抑え込まない方が、むしろ精神衛生上はよさそうだ、ということも自覚してきている。「一病息災」。(一病ではないが。)