物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

「高等遊民」と昭和の庶民のエートス

 片山杜秀「未完のファシズム---「持たざる国」日本の運命」(新潮選書 2012)では、日露戦争後、日本人は勝利に浮かれて精神の基盤をなくし、新たな倫理的基盤の構築を急いだ。江戸時代の儒教的倫理が死に絶えたのだ。。。そこで、たとえば、人格主義。「三太郎の日記」に典型、しかし、結局根無し草、というような話になっていた。

 しかし、これは、漱石がよく描いた「高等遊民」階層の話であり、庶民の間には長らく儒教的な倫理が残っていたのではないか、というのが私の観測である。というのは、私は子供のころ無茶をしてけがばかりしていたが、そのたびに母から

 「親からもらった身体を傷つけるは一番の親不孝者だ。」

とひどく叱られた。(ついでに、また、テレビに天皇が出るたびに我が家は厳粛な雰囲気になった。)論語に、

とあるように、これは、根強い儒教の影響を如実に表している。もちろん、これは太平洋戦争が終わって20年近くも経過し、日露戦争から半世紀以上経ったあとである。私の母の家系は伊予のある小藩(小松藩)の家老の家だったということを耳にはさんだことがあるが、禄を失った後当時は何とか細々と炭屋をしていた。全くの庶民である。母方の祖父は日露戦争二百三高地の戦闘に参加した。斥候に出て無事戻って来たので金鵄勲章をもらったそうだ。

 どういうわけか、浄瑠璃のお師匠さんをしていて弟子を何人も持っていた。父方の祖父は士族の落ちで職人をしていたが、長唄の名取で杵屋の号を持ったた。。。大正時代は二人の青春時代であり、四国の小都市でも長唄浄瑠璃が盛んでかなり享楽的になっていたのかもしれない。子供のころ近くに住んでいるよそのおばあさんが「あんたとこのおじいさんの三味線の音は違っていた。(魅力的だった。)」、と言っていたと母が教えてくれた。三味線の音を響かせて、若い女性を魅了して回っていたらしい(?)、そんな祖父が私は大好きだった。