物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

武衛、武衛陣町、御霊町

問題:以下の町名読めますか?
上京区室町通り椹木町通り上る武衛陣町」
答え:かみぎょうく むろまちどおり (ここまでは「小学生問題」)
   さわらぎちょう どおり あがる ぶえいじんちょう
読めたとして、ここはどこでしょう?京都御所(以下、「京都御苑」、と読んでください)のすぐ西、平安女学院のある場所です。烏丸通に沿っては聖アグネス教会があります。北の境界は下立売通りです。

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平安女学院の敷地内にある「武衛陣」の石碑
そう言えば、先日、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で頼朝が鎌倉武士たちに武衛と呼ばれるシーンがありました(実際に呼ばれたかどうかは怪しいようですが)。
  この武衛陣町、日本歴史上重要な場所であることを私は比較的最近(2021年3月)に知りました。 (1) 2020年度のNHK大河ドラマ麒麟がくる」で向井理演ずる足利義輝が畳で押さえつけられて刺殺されたあの御所があった場所が、実は、ここ武衛陣でした。 そのとき、焼き払われたそうです。しかし、次の義昭もこの跡により大きい屋敷を作って住んでいた。そして、信長に対して最初の挙兵をしたのもここ。(2)それよりずっと前、 室町時代応仁の乱の前、ここに管領斯波氏の邸宅がありました。斯波氏のついていた役職名が左兵衛督や左兵衛佐であり、その唐名が武衛なので、この邸宅場所が武衛の場所、武衛陣と呼ばれるようになったそうです。しかし、驚くべきは、その名前が未だに使われていること!応仁の乱のときも焼け落ちずに済んだが、その後、斯波氏は領国の尾張の方に行って使われなくなったそうです。こんな「身近に」こんな歴史上の大事件が起こった場所があったとは! 今更ながら、京都恐るべし! 
 まあしかし、この武衛陣のすぐそこには蛤御門があるわけだし、京都はそこら中日本史上の重大事件が起こった場所だらけなんですけど、あらためて具体的に知ると驚いてしまいます。ちなみに、今日の散歩には目的があって、下御霊神社の最初の場所を同定しに行ったのだけど、そこはそこで、ちゃんと「御霊町」、という名前が残っていた!京都検察庁のところです。今の下御霊神社寺町通り丸太町下がるにあります。移転した(移転させられた)のは、秀吉の京都改造、都市計画のためだったようです。京都は哀しい街で、政治闘争の舞台だから、何か大きい政治上の事件があると、ほとんど焼き払われて更地にされてしまう。特に、今の中京あたり。信長は威圧のため、上京も焼き払った。 いずれにしても、人が住んでいるのは上京と下京。中京は室町通りが一本走るだけの草地。逆に、都市開発して新しい人を入れようとすると広大な更地は好都合で、ここに洛外から商売する連中を入れることにした。すると、ポツンとある神社はじゃま、ということだったようです。そこで、新たに造られた寺町に移動させられた、、、のでしょう。