物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

大西明氏への弔辞       

大西さん、

大西さんとの別れがこんなにも早く、しかも私が見送る立場になるなどとは想像もしていませんでした。年明けから会うたびに痩せ、顔色を悪くされていく大西さんを見てこれはただ事ではないと心の奥では覚悟はしていましたが、、人生無常と言うほかありません。

 大西さんのことを始めて知ったのは、大西さんが大学院に入られる前年9月、院入試が終わった直後でした。当時の松柳研一助教授から「今度凄いのが入ってくる。大学院入試成績の点数が京大物理の大学院入試史上ダントツで一番だ!」と聞きました。それが大西さんでした。

 年月が経ち、大西さんが基研の教授になられてからの2008年初めて共同研究をすることになりました。それは大西さんが客員教授として招いたドイツのレーゲンスブルク大教授のアンドレアス・シェファーさんとそのとき同じく長期滞在されたバーント・ミューラーDuke大教授との共同研究でした。この研究は場の理論において伏見関数を初めて本格的に利用したものになりました。この研究で私は初めて大西さんの卓越した研究能力を間近で確かめることができました。それは、バーント・ミューラー教授が大西さんへの追悼メッセージの中で書かれている通りです。その中でミューラーさんは、大西さんが新しいアイデアを素早く把握し、その開発に貢献する深い考えの持ち主だ、また、彼は。他の多くの科学者が自分の知っていることに固執してしまうような立場になっても、新しい問題に取り組み、新しい方法で考えることを恐れない科学者だ、と高く評価しています。

 大西さんの研究スタイルの優れた特徴は、訪問された研究者の問題意識を受け止めそれを具体的に展開し、まとまった研究成果まで持っていけることです。そしてそれらは世界をリードするような研究成果になっていることは驚嘆に値します。

 たとえば、2017年に世界的な中性子星物理の権威である米国ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校J.M.ラティマー教授を招いて行った共同研究では、物性物理学、原子核物理学そして天体核物理学をつなぐ壮大な研究成果を上げています。これは発表されてまだ5年ほどですがその世界的評価の高さはその引用数が200を優に超えていることからも分かります。

 もう一つ例を挙げると、2011年客員教授として来られた韓国延世大のスーホン・リー教授らとのハドロン物理学と重イオン衝突反応を結び付ける研究があります。この共同研究グループは今や世界的に著名な研究グループとして知られ、大西さんはその中心メンバーです。大西さんたちが提起した研究課題は米国BNLやスイスのCERNなどの世界の主要な研究センターでの実験研究の柱の一つとして確立するまでに至っています。

 優れた研究者の評価基準にその人が新しい研究分野を作ったかどうかということを上げることができると思います。大西さんは新しい分野を創られたと思います。

 大西さんの研究では、他にも北海道時代からやられている比較的低エネルギーの重イオン衝突のダイナミクスのシミュレーション研究やニューラルネットワークを基礎物理学の問題に用いるという独創的な研究もあります。これらは前二者同様すべてこれからますます重要になっていくものばかりです。

 このように、大西さんの最近の研究の充実ぶりを見ると、今後5年10年は原子核・天体核物理研究において大西さんの存在はますます大きいものになっていき、まさに大西さんの時代が来るのではないかと私は予想し期待していたのでした。

 最後に、今回この追悼文を書くにあたり、この数か月の大西さんの行動を思い返してみました。3月には明らかに痩せて体力の落ちた身体を押して声を張り上げて学会の座長を務めていました。5月1日には我々研究グループのリモードでの研究討論に参加し、最後に振り絞るような低い声で今後の方針についてコメントをされました。我々は3人はその鬼気迫る姿に衝撃を受け最後は「お大事に」、と言うほかありませんでした。その後さらにたぶん亡くなられる数日前に基研での常任会議にリモートで出席され自分の現状を踏まえて基研での自分が抜けた後の体制などについて要望を伝えていたということを聞きました。彼のその誠実で強い責任感に基づく英雄的ともいえる行動には頭が下がる思いです。そしてそこに真のエリートの姿を見る様に思います。

 大西さんは、科学者としてまた人間として傑出した人物として決して忘れられることはないでしょう。また、今回改めて御家族を拝見すると、大西さんがよき夫であり父親であられたことがよく分かります。

大西さん、すばらしい人生でした。

安らかにお眠りください。

 2023年5月20日