物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

桑原武夫の谷崎潤一郎「陰影礼賛」批判---長谷川櫂氏の和の思想と「陰影礼賛」批判に関連して---

最近、YouTube「未来に残したい授業」シリーズの中で著名な俳人長谷川櫂氏の「和の思想とは 谷崎潤一郎の「陰影礼賛」から読み解く「和」への誤解と本来の姿」というのを視聴した。これは2022年に録画されたものである。谷崎「陰影礼賛」初出は「経済往来」1933年12月号と1934年1月号、初出版は1939年である。

 長谷川氏は、「陰影礼賛」における谷崎の付け焼刃的な日本文化論とその深刻な害悪性を指摘している。氏は谷崎の根本の間違いは「陰影礼賛」の第一行目、

  「今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると」

という文中の「純日本風」というものの存在を無批判に仮定しているところにあるのだ、と指摘する。まず、純日本風、あるいは純和風とは何か定義できるであろうか?長谷川氏は京都の和菓子屋さんから和菓子とは明治より前までに日本で食べていたものである、したがって、カステラも和菓子である、ということを聞いてひどく驚いた逸話を披瀝している。これから、氏は純粋XXとか言った途端に誤った結論が必然となること、一般に日本文化の本質はある歴史的時間における固定された文化集合ではなく、外来も含む様々の文化にフィルターを掛け、変容させるその機能の仕方、動的作用にあるのだと主張し、強調する。さらに日本の場合、その機能を担保するのは日本の蒸し暑い夏の気候ではないか、と「唯物論的」な考察をされている。

  固定された「純和風」の「もの」の存在を前提とする谷崎は、確かに、たとえば、扇風機や電灯が純和風建築に相性が悪い、といって開き直り「陰影礼賛」を押し上げているのだが、21世紀の我々は扇風機も蛍光灯もLEDも和風建築に馴染んでいることを知っており、谷崎の主張が全く滑稽に聞こえる。確かに、和の本質はその文化的フィルタリングと変容のさせ方という動的な機能にある、とする方が実態に合っていて合理的のようだ。

   ところで、同年の2022年に氏は同じくYouTubeで「和の思想 ---日本人の創造力---」と題した対談を牧野篤東大教授と行っていて、そこでもこの谷崎「陰影礼賛」を取り上げ同趣旨の内容を述べられている。この対談で氏は、白色人種に対する有色人種の劣等生を認めるようなほとんど人種差別的な主張を含む谷崎の「陰影礼賛」に対する批判がこれまで(ほとんど)ないことの問題性を指摘している。

 実は、この戦前の書に対して戦後すぐ、1947年3月「文芸」において桑原武夫

 「谷崎潤一郎氏のインエイ・ライサン」

と題した辛辣な批判を行っている:桑原武夫集2(岩波書店、1980年5月)p.185 参照。全集で6ページほどの長さなので、以下、その内容を紹介しよう。

1)  まず、この文章の権威主義的な傾向、またそれに繋がる不誠実さを示唆する次の事実を暴露する:

  「白木屋の番頭と中学生を合わせて二でわると漱石になる、などという警句でかつてわれわれを喜ばした谷崎氏が、今はことごとに漱石先生がおっしゃった、というような表現に変わっている、、、」

これは、谷崎自身の評価を隠して、漱石を高く評価する世間に阿っていることを示唆しているだろう。

2)「この本には面白く説明しようとしすぎて間違いも若干ある」こと。

 たとえば、「漆器の美しさは薄くらがりを予想して作られたのだというけれど」、「ロウソクが発達して芸術の鑑賞のできる夜の世界が生まれたのは、戦国時代あたりからで」あるが、「日本の漆器は、金蒔絵でも大たい鎌倉時代からであって室町時代には完成した。」ところが、「その頃は灯は油に灯心だから蒔絵の模様など見分けもつかない」。だから、上記谷崎の事実認識は全くの間違いである。

3)異国情緒趣味(エキゾチズム)が多すぎること。

  「この本はいわゆる日本的美を説きながら、日本人としての自覚が少ない。つまり著者の名をハーンだとかタウトに変えてもいいようなところ、異国情緒趣味(エキゾチズム)が多すぎはしないか。」

4)下品な成り上がり者の貴族主義みたいな感じがあること。

 「谷崎さんも若いころは中々西洋ずきで(中略)スタンダールの「カストロの尼」の反訳をしたこともあり、一方、日本のものはなるべく見ないようにわざと目をとじてきた、それは伝統誠心に引きこまれるのが恐ろしいからだ、などとどこかに書いたこともある。それがいつしか日本に帰った。」(中略)「日本に帰ったことに文句をいうのじゃないが、ともかく谷崎さんが一種の美的貴族趣味を説きながら、そこにいつも何か(中略)成り上がり者の貴族主義みたいな感じがある、」(中略)「はじめからいわゆる風雅の世界に育った人なら、ああいう書き方はしまい。もっと気品があるだろう。いやおそらく沈黙しているだろう。」

5)背景に西洋人に対するインフェリオリティ・コンプレックス(劣等感)がある。

  「あそこに礼賛されているような美的生活、それを日本人の何パーセントができるのだろう、(中略)江戸時代でも。昭和十三、四年ごろでも。またああいう生活は無数の奴婢の使用を予想する、それがみんな日本人だ。」(中略)「ところが、そうしたことが心をかすめた気配もない、」芸術的直観とも自覚とも無関係な「たんなる逃避だよ。近ごろの日本賛美論はみなそうだが、西洋文明にあこがれ、またはそれを取り入れざるを得なくなったものの、十分消化するのがむつかしい。そこで西洋の普通人の生活と日本の少数上流人の生活と比べてみて、こちらの方が奥床しいという。そこにはいつも、西洋の普通人の生活にさえ何か手のとどきかねるものを感じて、自己を特殊化して観念的に救われようという、一種のインフェリオリティ・コンプレックスがある。」

(中略)「つまり日本人一般の生活を忘れて「日本的な」美だけを賛美しうるということは、エキゾチズムともいえエゴイズムとも言えるのだ。」

 

桑原のこの文章は、角屋の「松の間」の谷崎の文章の引用箇所に桑原が角屋の常連であることを示す「赤前垂をかけている」(年増の仲居)、という言葉を挿入してからかって終わっている。この挿入に気が付いた人は誰もいなかったそうである。

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[補足] 2024年1月16日

松岡正剛による谷崎潤一郎「陰影礼賛」批判:

0060夜 『陰翳礼讚』 谷崎潤一郎 − 松岡正剛の千夜千冊

 

 

8年前のクリスマスの約束:小田和正と和田唱が歌った「恋のフォーチュンクッキー」の衝撃

今年は小田和正の「クリスマスの約束」がなくて残念だった。この歌番組は歌がうまい才能ある実力者が小田和正とデュエットしたり合唱・合奏するので、知っている歌を音楽的に深いところで堪能できる楽しさがあった。その典型が8年前、小田と和田唱が歌った「恋のフォーチュンクッキー」。以下は、その8年前の聴いた直後の私の感想に少し手を加えた文章。

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クリスマスイヴ恒例の小田和正クリスマスの約束」を録画で鑑賞した。小田和正だけでなく共演者とそこで演奏される歌の音楽性の高さから素直に楽しむことができる。家内は今年はライブでずっと見ていた。私は、年上の小田和正のいつまでも衰えない声と歌唱力に感心し激励も受けている。それで忘れないでいる年はよく観ている。
 しかし、今回の感動、いや、衝撃が訪れたのは「恋するフォーチュンクッキー」を聴いたときだった。そう、あのAKB48で有名な曲。大体、AKB48という企画に、少し穏やかに表現して、馴染めない私はテレビでAKB48が出ると即座にチャンネルを変えたりテレビを消したりしていた。だから、この曲はなんかがやがやした曲だな、という印象だけで、興味もわかずちゃんと最後まで聴いたことがなかった。
 ところが、小田和正和田唱の二人が歌う「恋するフォーチュンクッキー」は全然別物に聞こえた。この2人の演奏でメロディーラインが如何に新鮮で高度なものであるかがよく分かった。世界に通用するすばらしい名曲なのではないかと思ったほどだ。あわててウィキペディアで作曲者を調べると伊藤心太郎という人だった。
 ジャニーズやxxx48など(下手な歌手)が歌っていて正当に評価されていない曲でも、実は隠れた名曲がたくさんあるのではないだろうか? 大体、こういう「売れる」歌手には第一級の作曲家、作詞家、編曲家が関わることが多いことを、昔、松田聖子のときに気が付いた。アイドル歌手の中では特別に声量があって歌のうまい松田聖子とジャニーズやXXX48と比べたら松田聖子に悪いのだけれど。全盛期の松田聖子の歌詞は松本隆、作曲は大瀧詠一細野晴臣呉田軽穂松任谷由実)、財津和夫等々である。これらの曲は詞の内容も深いし、曲もすばらしいものが多い。
知っているつもりでも知らないことがまだまだあるものだとつくづく思った。
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薪ストーブと囲炉裏のある喫茶店:サイフォン式コーヒーと炭火で焼くぜんざい用餅

先日、大津市田上地区桐生にある喫茶店、「ふくろう珈琲店」に行ってきた。マスターが定年後始めた喫茶店。そういう夫婦を特集する全国ネットのテレビでも取り上げられたことがあるらしい。それで以前から妻から行ってみようと誘われていた。実は、金、土、日しかやっていない。そして、今日が今年最後の日だった。
 草津川の土手を下った小さな農家か倉庫を改装した和風の建物。入口にふくろうの陶器があり、「ふくろう珈琲店」と書かれた大きい木の看板が掛かっている。

「ふくろう珈琲店」玄関
中に入ると、何と囲炉裏そして薪ストーブ!がある。

ふくろう珈琲店の薪ストーブ

炭火の囲炉裏と薪ストーブ。広い窓際に並ぶ一人席。

囲炉裏とピアノ
 
妻はコーヒー、私はぜんざいを頼んだ。しばらくすると、マスターが理科の実験用具のようなものを持ってきた。アルコールランプとコーヒー用サイフォンだ。それも一人用のかわいいサイフォン。驚いたことに、この店では客がサイフォンを使って自分で入れるシステムなのだ。サイフォンで入れるのが何十年ぶりだった妻も戸惑って、途中でマスターを呼んでやり方を確認していた。普通の濃さは30秒、濃いのは1分待って、というアドバイスももらった。
 私のぜんざいは、まず、小さな長方形のお餅と金網が来た。ぜんざい用のお餅を客である私が目の前の囲炉裏に金網を掛けて炭火で焼くのだ。楽しい。
 食べ終わった後、何気なく薪ストーブの方に目をやると、マスターが薪を補充していた。大きく燃え上がる炎。見ていると、意外や、目が離せなくなる。ゆらゆら揺れる炎が何か自ずと心の奥を引き寄せるようで、見ているととてもリラックスする。そう言えば、キャンプの焚火はずっと見ていても飽きないのでキャンプがやめられない、とテレビで誰かが言っていた。このことか!と思うと同時に、子供の頃や学生時代焚火をして楽しかったことを思い出した。
 
 レトロでとても落ち着く喫茶店。今回が初めてだったが、また必ず来ようと思った。

俳句誌「橡」2023年12月号に掲載されたいくつかの俳句の鑑賞

秋の暮みんな帰って終ひけり   大出岩子 (p.11)

 あれだけにぎやかだったのに、みんな帰ってしまった。事実をそのまま

記述した「写生」の極致のような句。しかし、突然の手持無沙汰と心に

できた空洞の大きさにただ呆然とする様子がみごとに表現されている。

「秋の暮」という季語が秀逸であり、それに呼応した「終ひけり」の切れ字

によって素晴らしい韻文となっている。 

「橡」十一月号の沖崎青波作

燕去り元の独りに戻りけり

と技巧、句意ともによく似ているように思う。

                    (2023/12/21 改訂)

 

黒柿の卓の焦げ色夏行けり    北山秀明 (p.13)

 黒柿の一枚板の卓だろうか?その焦げた色が以前と微妙に違って少し優しく

淡く見えたのだろうか。ああ、夏が終わったのだ!黒柿の板からの反射光の微妙な

違いを感じ取ることのできる繊細な詩人の観察眼。

 

名月を待ちて鎮もる響灘     北山秀明 (p.13)

 「鎮もる」の措辞がすばらしい。厳かな雰囲気を持つ一幅の絵のようである。

 

月今宵博多屋台の端に座す    北山秀明 (p.13)

 市井の民である私もこうして町の片隅で身を慎んで名月を寿いでいる。謙虚な(modestな)作者の人となりがよく表れていて好感が持てる。

 

海底の闇の染みたる穴子割く   北山秀明 (p.13)

 穴子を割く。深い海の底でこの穴子は何を見、何を感じていたのだろう。

その深い海底の闇の秘密が、パンドラの箱を開けたように、今溢れ出ているのか。

 

甲板にうどん旨しや春の潮    宮地玲子 (p.16)

 作品の良し悪しの前に、昔よく食べた宇高連絡船の船尾で食べた讃岐うどんの味と

「こし」が忘れられない私にとっては、自分のつぶやきのような俳句。

 

実柘榴の爆ぜて夕日を集めをり 布施朋子  (p.20)

 「爆ぜて」という措辞が大口を開けた柘榴を表現していてすばらしいと思う。

その柘榴の「赤」は夕日を受けてよりいっそう鮮やかというのだ。私には真似の

できないうまさ。俳句を読み/詠み始めて間もない私が、初めて「うまい」ということが感じられた句

 

葉痕に目あり鼻あり冬の森   布施朋子  (p.20)

 枯れた木の葉の穴や痕が人間の顔の目や鼻に見えることがよくある。それを

その見たままを五七五の文字の列に変換した素直な軽みのある句。

これを「俳味」というのだろうか?

 

斎藤博文「風鈴」より    (p.45)

アカシアの花の蛇行や千曲川

 川の蛇行を川に沿って咲くアカシアの蛇行として表現しているのがおもしろい。

 

まだ青き椎の実降れり無言館

 無名の若い画学生の絵を集めたという無言館。落ちてきたまだ青さの残る椎

の実はその思い半ばにして戦士した画家の卵たちなのだろう。

 

自画像の眼は生きて終戦

 若くして死んでいった画学生の自画像の「眼(まなこ)」は生々しい。

希望に溢れた青春真っただ中の作者がモデルなのだ。しかしその分、

若き学徒の死の痛ましさが胸に迫る。その「眼」は脳裏に焼き付いて

離れない。

 

君を待つ未完の裸婦図蝉しぐれ

 いい名づけかあるいは新婦を描いた未完の裸婦像。彼らが紡ぎ始めた

新婚生活も未完のまま。二人そろっての完成を期して裸婦図の新婦は

画家の帰国をずっと待っているのだ。蝉しぐれは新婚間もない夫を戦争で亡くした

新婦の慟哭かのように聞こえる。

俳句誌「橡」2023年11月号に掲載されたいくつかの俳句の鑑賞

供花はけふ秋の白さの木槿かな  山下喜子(p.10)

 亡くなった方への文字通り衷心よりの悼む気持ちが白秋の白と木槿

白い色に象徴されている。秋の白さと言えば、

芭蕉

石山の石より白し秋の風

がすぐに思い浮かぶだろう。この芭蕉の句は小松市にある高野

真言宗の那谷寺を詠んだものだった。

さらに、木槿の底紅は作者の亡くなった方への親愛の気持ちを表して

いるようでもある。

全体として高い品位の感じられる句。人を悼む句として古典となり

得るような名句なのではないだろうか。

 

ベニシアさん在所に遺す紫蘇ジュース 山下喜子(p.10)

  ベニシアさんは亡くなられたが、イギリス貴族の出である彼女が日本文化

を愛した象徴としての「紫蘇」のジュースが彼女の永く住んだ家に残っている。

 

父母も弟も亡き郷螇蚸とぶ     大出岩子 (p.11)

 父母もたった一人の弟も亡くなっていなくなってしまった故郷の町。ふと見る

とバッタがあの頃と変わらず元気にぴょんと跳んだ。あのバッタは無邪気に

遊んでいた弟の生まれ変わりかも知れない。

 

燕去り元の独りに戻りけり     沖崎青波  (p.12)

 家の軒先に燕が巣を作っていたのだろうか?その燕がいなくなると、

また独りぼっちになってしまった。その寂しさを技巧なしにそのまま

表現している。技巧がない分、寂しさが痛切に伝わる。

 

月光を吸へり実を張る青葡萄    山下誠子 (p.13)

 月光を受けて美しく光を放つ青葡萄が膨らんで張り裂けそうに見える。

その大きな膨らみの元は、そうだ!青葡萄が吸った月の光に違いない!

 

産衣干す軒に朝顔咲きのぼり   布施朋子 (p.48)

 子供の生まれたことの仕合せとその高揚感、そして明るいめでたさが

よく表現されている。

鈴木大拙を「かじって」みたら、「もう読むのはやめよう」、と思った話

以前、白洲正子著「いまなぜ青山二郎なのか」白州正子「いまなぜ青山二郎なのか」、小林秀雄のこと - 物理屋の不定期ブログ (hatenablog.com)

を取り上げたとき、そこでその「ニセモノ性」が彼ら仲間内で批判されていた小林秀雄に関する個人的思い出と現在での彼への評価を書いた。その小林秀雄と同方向でもっとその絶対値が大きい著名「文化人」として鈴木大拙がいることを発見した。

 私はNHKTVの「100分で名著」やラジオ第2放送で放送される「文化講座」や「宗教の時間」をよく(often)聴いている。今年の「宗教の時間」で取り上げられたのは鈴木大拙だった。最初の部分をラジオで聴いておもしろそうなので、前期のテキストを買って読んだ。前半は伝記的な内容だ。彼の思想内容やその説得性に何かしら曖昧なところがあるように感じたが、まあ、伝記だからしょうがないと思い、後期の思想内容の放送とテキスト販売を待った。そして、後期が始まり、私は第一回を聴くとともに後期テキストを買って第一回分を精読した。これは「日本的霊性」の解説だった。これが実は大拙法然-親鸞の浄土(真)宗理解の開陳であることが分かった。私は、真宗系の大学の教員を長年務めていたこともあり、少なからず興味を抱いた。

 そこで、かなり以前に購入してほとんど読まないままであった岩波文庫「日本的霊性」を読んでみた。現在100ページほど読んだところだ。しかし、いくつも章分けしているにも関わらず、ずっと同じことを言っている。真宗の本質は「他力本願」、そしてそれを教えの核として親鸞が位置づけできることができたのは、越後や常陸で農民の中に入り直接我が日本国「大地」と交信するという経験ができたからだ。

 このことを、文献を上げることもなくただただ言いつのっている。大体なぜ「大地」といわないといけないのか?「霊性」を読むとむしろ「農民大衆」あるいは「人民」と言う方が適切なように思う。「大地」というのは親鸞が実際農作業をしたはず!と主張したいからなのか?

 これは、何らかの主張をする文章、ドキュメントとして全く体を成していないと思った。思い込みの激しい少し生意気な中学生が書いた文章、と言われても私は疑わなかったろう。少なくとも、必要な基礎となる系統的「知」が欠如している、あるいは供給されていない。また、著者にそれがあったとしてもそれを文章だけで論証する技術的訓練を受けていない「素人」の文章のようだ。確実な事実を基礎に、新たな観点やアイデアに基づき、推測も含め、ただし、それが事実の裏付けを持たない推測であることを自覚しつつ、論理的に文章を綴っていく、ということになっていない。「本当かも知れない」著者の思い込みをこなれの良くない、あるいはすわりのよくない的確でない言葉を用いて言いつのっていく、そういう文章だ。現代の研究者養成の観点から言うと、この著者は論証的文章によって真理を提示するための必要な訓練を受けていない、そのための必要な批判を受けて成長しきれていない、という強い印象を持つ。

なぜ、このようなレベルの文章が岩波文庫になっているのだろう。これを岩波文庫としてありがたがる人たちの権威主義に私は憤りを感じる。

 実は、私は大拙の「禅と日本文化」と「続 禅と日本文化」(両者とも岩波新書)も拾い読みした。特に、「禅と俳句」の章は精読した。先生について俳句を少しやっていて、俳句関連の図書もかなり読んでいる者からすると、この「禅と俳句」も杜撰極まりない文章と感じる。俳句をいくつか紹介し、それらの大拙解釈を「禅」のことばで綴っているだけなのだ。せめて、俳句の元である連歌とか連句の発祥と時代背景、そしてそこにあり得る「禅思想」の影響、というような話立ての部分が必要だろう。そうすれば「禅」と「俳句」にintirinsicな連関が説得的に記述されることになる。この「禅と日本文化」も大拙の傲慢な思い込みによる勝手で粗雑な作文でしかないようだ。

 ここまでの感想を抱いて、大拙のニセモノ性をこれまで誰も指摘していないのかとネットを調べてみた。すると、ちゃんとある。

 たとえば、長澤弘隆と言う方のブログ

www.mikkyo21f.gr.jp

この中に、系統的な

鈴木大拙を問う」、「西田幾多郎を問う」、「補説:鈴木大拙 西田幾多郎を問う」がある。これらの文章は上に書いた私の半ば直観的な感想を体系的に敷衍、論証したものになっている。そう言えば、末木 文美士氏も岩波「図書」で大拙の著書に批判的に言及していたように記憶する。

俳句雑誌「橡」令和五年九月号掲載作品抜粋とその鑑賞

 

走り茶と届く旅信も走り書き  山下喜子 (p.10)

 「走り茶」、「走り書き」と明らかなことば遊び、その軽みがよい。

 

山羊の酥を伝ふ木簡緑さす   同上

 山羊の乳製品という生命に関わることを書いた木簡にこれまた新生の息吹を感じさせる新緑が共鳴・協奏している。

 

ヤマンや辛子豆腐は冷え切って 同上

 「ギヤマン」という語感の強いことばを用いて冷え切った辛子豆腐という刺激の強い食べ物を入れたガラスの器を表現している。このギヤマンは赤い色付きガラスかもしれない。切れ字は、その赤が唐辛子の赤よりも強烈だったということだろうか?

 

鉾町を牛耳る老いの夏羽織    同上

  「牛耳る」ということばには、あり得る抵抗を押さえつける意思と強さが含意されている。一方、「老い」と言い切られる御仁は傍目には明らかに年老いて引退していても不思議ではないように見える。ひょっとしたら、作者と同年代かもしれない。「鉾町」の行事全体を差配するのは「年寄りの冷や水」のようにも見える。しかし、その御仁が祇園祭用の夏羽織りを羽織ると何かが乗り移ったかのようにシャキッとする、いや、少なくとも本人は「乗り移り」を信じているかのようである。

 

青空を切りに切ったり夏燕    浅野なみ  (p.12)

  燕が飛ぶ方向を鋭角に何度も変える様子を「空を切りに切ったり」と表現したところが秀逸。縦横無人に飛ぶその若々しくすがすがしい様子が「青空」で象徴されている。

 

 木下闇疎開児童の碑を抱く   小林和子  (p.12)

  親元を遠く離れて暮らさざるを得なかった戦時の子供たちのことを書いた碑。その子供たちへの同情が「抱く」という措辞で表現されている。また、そのような非人間的な事象は闇のような暗い歴史的事実であった。

 

万葉の恋の碑に湧く草いきれ      北山秀明   (p.13)

  万葉の恋歌が草いきれの中の碑に刻まれている。その恋は熱く「むっと」するほどの生々しいものだったのだろうか?

 

薫風に目覚めし花や此処かしこ    小林和子   (p.16)

  初夏の穏やかな風が気持ちいい、その上此処かしこにきれいな花が咲いている、ああなんという晴れやかさ。それはあたかも花々が初夏の風の優しさに咲くときを一斉に悟ったかのようである。

この句はさらにサンドラ・ボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」の世界を句にしているかのようにも読めるのは比較文化論的なおもしろさがある。(故芳賀徹先生などとても喜んだかもしれない。)暖かな西風(の神ゼフュロス)に吹かれて、それまで冷え切っていた大地の女神クロリスの口から花々が零れ落ち始める、そして終に春の女神プリマヴェーラに変身する。春の到来だ。

 

村田蟷螂作品抄より    (p.20-21)

銀閣の銀を奪ひて寒の月      (p.20)

  冷え冷えとした「寒の月」と「奪ふ」という即物的で厳しいことばが照応している。一方、視覚的には、地上の銀閣寺と銀色に輝く夜空の月が対比されることで立体的に景色が描かれている。名作。

 

吉野山みかどの声の雉子鳴けり  (p.20)

 「みかど」とひらがなにしたのは、四代続いた南朝天皇のだれそれを記述したものではなく、南朝という(惨めに失敗した)公家政権全体を指しているのだろう。そして、雉子はその憾みを声にして鳴いている。。。

 

臥し乍らしみじみ想ふ獺祭忌    (p.21)

 詩情をはぎ取り、苦しい病状そのままに本音をことばにした。しかし、俳人の心は忘れずに。

 

春寒し命の余燼燃やしつつ       (p.21)

夏至の日のなすすべもなく虚空みる  (p.21)

酸素吸ふ二つの鼻孔秋を待つ    (p.21)

 子規の「へちまの句」に匹敵するような絶唱。論評する言葉なし。

                                [以上]