物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

スティーヴン・ワインバーグ「科学の発見」(文藝春秋社, 2016年)の抜き書きと感想(批判的コメントを含む)

S. ワインバーグの「科学の発見」を読んだ。ここに書かれている事実関係は、広重徹「物理学史 I, II」(培風館 新物理学シリーズ5, 6; 1968年)、伊藤俊太郎「十二世紀ルネサンス(講談社学術文庫 1780; 2006年)、島尾永康「ニュートン(岩波新書黄版88)、あるいは平凡社加藤周一編集「世界百科事典」等々を通して知っていた内容である。実際、ある私立大学の文科系学生向けにこのテーマで20年近く講義をしていた。しかし、この本には初めて知る事実が少なからずあり、また、様々の事実に対するワインバーグの評価、感想が興味深くまた教育的であった。そこで、おもしろいと思ったことを抜き書きし、ところどころに私の感想を書いておくことにした。

 

ギリシャ科学の衰退はキリスト教の興隆のせいか?(p.76)

313年、キリスト教コンスタンティヌス一世によって公認され、380年、テオドシウス一世によって国教と定められた。この時代に、ギリシャ科学の偉大な業績は終わりを迎えようとしていた。(p.77)

(しかし、)全般的に見れば、聖書の記述と科学知識との直接的な衝突がキリスト教と科学の緊張関係を生んだ重要な原因だとは思えない。(p.79)

これよりずっと重要な原因は、「異教徒の科学は、キリスト教徒が取り組むべき霊的な問題から人の心を逸らすものだ」という初期キリスト教徒に蔓延していた考え方にあったものと思われる。(p.79)

もう一つの要因は、キリスト教が教会での立身出世の機会を、知的な(つまり、違う道を選んでいれば数学者や科学者になったかもしれない)若者に提供したことだった。司教や司祭は一般的に、通常の司法による支配や納税義務を免れていた。 (中略) 司教は、アレクサンドリアのムセイオンやアテネアカデメイアの学者よりずっと大きな政治的権力を振るうことができた。(中略) 多神教世界においては、富と政治権力の持ち主が宗教上の要職を占めるのであって、宗教者が富と権力を握るわけではなかった。(p.80)

[コメント(TK)] 

 この「司教や司祭」を「病院長や開業医」に置きかえれば、そのまま現代のわが国の科学の衰退や社会全体の活力の減退を説明するかもしれない。そして、それは大学入試における医学部受験者の異常な増大とそれに裏腹な関係として数理に優れた若者の理工学部への進学の単調な減少という近年の現象と整合的である。そのような趨勢がもたらした現代日本の状況、特にテレビなどのメディアに見られる状況は、ギボンが「ローマ帝国衰亡史」の中で苦々しく記述した以下の状況に酷似しているかもしれない:

アテネの学園にとって、ゴート族の武力さえ、新しい宗教の創立ほどに致命的ではなかった。聖職者らは理性の行使を不要とし、どんな問題も宗教上の心情によって解決し、異教徒や懐疑論者に永遠の業火を宣告した。無数の面倒な論争の中で彼らは知性の脆弱と心の堕落を支持し、古代の賢人の人間性を侮辱し、教義にとって不快な、あるいは少なくとも卑屈な信者の気質にとって不快な哲学的探究精神を禁止した。」(Gibbon, `Decline and Fall', Chapter 40, p.231.) (p.81)

 

第7章 太陽、月、地球の計測

過去の偉人たちが軽視してしまった、実験結果の不確実性(p.100)

アリスタルコス の科学と現代科学との違いを際立たせているものは、彼の観測結果の数値的誤りではない。(中略) アリスタルコスと現代天文学者や物理学者との本当の違いは、彼の観測データが誤っていたことではなく、彼がデータの不確実性(誤差:TK)の評価をおこなおうとしなかったこと、あるいはそのデータが不完全かもしれないことを認めてさえいなかったことにある。(p.100-101)

 現代の物理学者や天文学者は、実験結果の不確実性を肝に銘じるよう教え込まれている。(S.ワインバーグが学部学生時代取った必修の)実験講座の授業時間の大半は、測定結果の不確実性(誤差:TK)の評価に費やされた。しかし、歴史的に見れば、この不確実性(誤差:TK)に注意が払われるようになったのはつい最近のことである。(中略) ニュートンでさえ実験の不確実性(誤差:TK)を軽視することがあった。

[コメント:TK」この実験の測定誤差や系統誤差の軽視は物理以外の学問分野、特に、医学分野では未だに見過ごされているかもしれない。実際、病院でいやというほど受ける「検査結果」に「誤差棒」や誤差の評価数値が付いているのを見たことがない。

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第十章 暗黒の西洋に差しこめ始めた光

科学再興のさきがけとなった男、ビュリダン(p.180)

ビュリダンは、科学原理の論理的必然性を認めない経験主義者だった。「原理というものはすぐに分かるものではない。(中略) 原理は、それが証明できないが故に原理と呼ばれるのだ。他の前提から推論することも形式的手順によって証明することもできないが、多くの事例において真実であることが観察され、いかなる事例においても誤りであると観察されないが故に受け入れられるものが原理と呼ばれるのだ」(p.181)

  科学の将来にとっては、これを理解することが不可欠だった。そして、それは簡単なことではなかった。純粋に演繹的な自然科学という、プラトンが目指した到達不可能な目標が、注意深い観察の注意深い分析に基づいて築き上げるしかない進歩を阻んでいた。(現代のその間違った事例として、ピアジェが「子供は生まれながらに相対論を理解している」、と言っていることを指摘している。) (p.181)

 ビュリダン(1296頃ー1358頃)は経験主義者ではあったが実験主義者ではなかった。(p.181) (ガリレオとの違い:TK)  

   (ビュリダンは投射物体の運動を理解するために「駆動力(インぺトゥス)」という概念を導入した。そして、そのアイデアを円運動にまで拡張し、惑星の運動の維持を理解しようとした。)(p.182)

 ビュリダンは科学と宗教との妥協案を模索していた。これは、「宇宙の仕組みを最初に動かし始めたのは神だが、その後は、宇宙は自然法則に支配されて動いている」という、数世紀後に流行した妥協案の先駆けだった。(p.182)

 ビュリダンのインペトゥスの概念は、数世紀にわたって影響力を持ち続けた。1500年代初めにコペルニクスパドヴァ大学で医学を学んだときにも、インペトゥスは教えられていた。ガリレオも、十六世紀後半にピサ大学でこれを習った。(p.183)

第四部 科学革命

 物理学と天文学は、十六世紀から十七世紀にかけての革命的変化を経て現在のような形を取るようになり、それ以後の全科学の発展に模範を示した。(中略) たとえば、ハーバート・バターフィールドは、科学革命の重要性は「キリスト教誕生以来のあらゆる出来事に勝っている。これと比べれば、ルネサンス宗教改革も単なるエピソード、つまり中世キリスト教世界の枠内での単なる配置転換に過ぎない」(``The Origin of Modern Science', rev. ed. (Free Press, N.Y., 1957; p.7)と断言している。(p.196)

 ここ数十年の間に、科学革命の重要性を疑問視する論調が見られるようになった。(たとえば、S. シェイピン「科学革命」(1996)。) その批判には、二つの相反するタイプがある。(一つは、16-17世紀の科学的発見は中世ヨーロッパやイスラム諸国で既に始まっていた科学的進歩の自然な延長に過ぎない。二つ目は、「科学革命」を担った人々の著作にはプラトンの影響がある、とか、占星術をやっていたとか、聖書の研究をしていた、とか。)(p.196)

 どちらの批判にももっともな部分はある。しかしそれでも、「科学革命は、精神史をそれ以前とそれ以後に二分するリアルな転換点だったのだ」と私は確信している。現代の現役科学者の観点から、私はそう判断する。二~三の古代ギリシャの輝かしい例外を除けば、十六世紀以前の科学は私にとって、自分や同僚たちがおこなっていることとはまるで違うもののように思われる。(それらの科学は宗教や「哲学」と不可分に結びついていたし、数学との関係も解決していなかった。) 十七世紀以降の物理学と天文学には、そんな違和感はない。(中略) それは数学的に表現された、客観的法則の探究である。それらの法則が、様々な現象の正確な予測を可能にする。そしてそうした予測を観測や実験結果と比較することで、法則の正当性が立証される。

 科学革命は確かに存在した。(p.197)

[コメント] このことがこの本でワインバーグが最も言いたかったことのようである。

(この後、コペルニクス、チコ・ブラーエ、ケプラー、そしてガリレオの業績の紹介が続く。それらはほとんど、たとえば、広重徹「物理学史 I」に書かれているような周知の事実である。)

 ニュートン理論の勝利 (p.317)

(前略) (ニュートン理論に) いろいろと反対意見はあったが、結局のところ、 そんなことは大した問題ではなかった。ニュートン物理学の正しさが次々と証明されていったからである。

(1) ハレーによる(ハレー)彗星軌道が放物線になり観測データと一致することの証明、(2)クレローによる摂動計算によるハレー彗星の18年後の近日点到着年日の予言とその観測結果の一致(1759年4月)、(3) ダランベールによるニュートン理論を用いた春分点歳差の正確かつ精密な計算(1749年)。

ニュートンの理論はついに世界中で勝利を収めた。(p.318)

 それは、ニュートンの理論が従来の形而上学的基準(「目的」という問題に答えを出していない、ということ:引用者注)を満たしていたためではなかった。(中略) だが、それは、それまで謎に包まれていた多種多様な現象の計算を可能にする普遍的原理を提供した。こうして、ニュートンの理論は、物理理論の規範と可能性を示す強固なモデルとなった。(p.318)

 これは、ある種のダーウィン的淘汰が科学史に働いていることを示す一例である。(中略) 何かが見事に説明されたとき、われわれは強い喜びを覚える。後世にまで残る科学理論や科学手法とは、科学研究に関する既存のモデルに適合しているか否かにかかわらず、こうした喜びを提供するものである。(p.318)

 (ニュートン理論に反対した人たちがいたことの教訓) ニュートンのような、数多くの観測結果を見事に説明する理論を考えもなしに否定してはならない、という教訓(中略) その理論がうまく機能する理由を考案者自身も正しく理解していない場合もあり得るし、科学理論はいずれ、さらにうまく機能する理論の近似理論だったと判明するものだが、それらは決して単なる誤りではない。(p.318)

 (この教訓に基づく、量子力学に反対したアインシュタインシュレーディンガー批判。p.318) 量子力学理論をこうした超一流の物理学者が否定したという事実は、1930年代から1940年代にかけて達成された個体・原子核素粒子物理学における偉大な進歩に彼らが参加できなかったことを意味している。(p.319)

 アインシュタインの(相対性)理論とニュートンの理論の違いは、ニュートンの理論とそれ以前のどの理論との違いよりもずっと小さい。(p.324)

我々はどうして現代科学を発見できたのか(p.325)

ほんのときたま、誰かが何かの現象を説明する方法を発見した。その説明が適切で、多くのことを解き明かせるときは、それは発見者に強い満足を与えた。(例:(1) エカントというアイデアを思いついたときのプトレマイオス。(2) プトレマイオスの体系に必要なファイン・チューニングと螺旋軌道が太陽中心説で解消できることに気が付いた時のコペルニクス。(3) コペルニクスの込み入ったモデルを、楕円軌道のアイデアを含む自らの三法則で置き換えることができたときのケプラー。)(p.326)

 つまり、世界はわれわれにとって、満足感を覚える瞬間という報酬を与えることで思考力の発達を促すティーチングマシンのような働きをしているのである。

[コメント: TK] ここでのワインバーグの説明は今流行の機械学習の用語を用いて、以下のように理解できるかもしれない。我々人類はあたかも「教師付き機械学習」を行うAIのように自然認識の方法を改善し、その認識の精度を改良してきたのである。もちろん、「教師」は世界/自然である。

 われわれは、目的というものを気にかけなくなった。(「気にける」のは求める喜びに到達する方法ではない。こうしてわれわれは) (1) 不確実性(誤差)を許容することを学び、(2) 設定する条件が人工的であることを気にせず実験することを学んだ。) そして、それがうまく機能したときには喜びを増してくれる、一種の美的感覚を発達させた。人類の世界の理解は蓄積していくものだ。その道のりは計画も予測も不可能だが、確かな知識へとつながっている。(p.326-327)  

 第十五章 エピローグ、大いなる統一をめざして (p.328)

( 生物学と地質学の特異性:歴史的偶然性の介入)

生物の現在のありようは物理法則に従ってそうなったのではなく、そこには無数の歴史的偶然が関わっている。(中略) こうした偶然の中には統計学的に理解できるものもあるが、一つ一つの偶然を個別に理解するわけにはいかない。(中略) 生物学の一般原則はすべて、歴史的偶然(定義上、これを説明することは不可能である)とともに基本的物理法則によって成り立っている。(p.341)

 統一された自然観への道のり (「還元主義」擁護の主張が述べられる)p.341

たとえば、熱力学はさまざまな系に適用できる。(p.341) (中略) 多数の分子を含む系だけでなく、巨大なブラックホールの表面にも適用できる。だが、何にでも適用できるわけではないし、熱力学が特定の系に適用できるかどうかを問題にするとき、さらに、適用できる場合にその理由を問題にするときには、さらに深い、さらに真に基本的な物理法則に言及せざるを得ない。この意味では、還元主義は科学的手法を改革するためのプログラムではない。それは、なぜ世界がこのようなものであるのかという一つの見解なのである。(p.342)

------------------[以上、「科学の発見」の引用とコメント終わり]-------

[引用に結びつかない個人的コメント](2022/0916)

ワインバーグの「科学の発見」には書かれていないか強調されていない事実/観点で、私が広重徹「物理学史I」やその他の科学史関係の図書から学んだことを全体の補足として書いておく。また、「科学革命」という現象に関してなお残る疑問も書く。

1) コペルニクスケプラーにおける「プラトン主義」の影響

  星の天体上の運行の記述の精確さにおいてはプトレマイオスの「天動説(地球中心説)」と変わりのない「地動説(太陽中心説)」をなぜコペルニクスケプラーが発想し、拘ったのか?そのヒントは、たとえば、コペルニクスの「天体の回転について」に書かれているように、彼にとっては「生命と光の源である太陽」は宇宙の中心に位置することが自然であった。そのような太陽崇拝はルネサンス期のプラトン主義フィチーノに由来する。それはケプラーも同様である。ちなみに、したがって「地動説/天動説」ということばを使うよりはそれぞれ「太陽中心説」および「地球中心説」と呼ぶ方がその思想背景を正確に記述している。

2) 自然法則」という観念の成立とヨーロッパ社会

 個々の技術や自然認識においては中国をはじめとしてヨーロッパ以外の地域でも独自の発展があった。しかし、「自然法則」として普遍的な体系に整理したのは16-17世紀のヨーロッパが初めてである。それはなぜだろうか?以下、フランツ・ボルケナウの「封建的世界像から市民的世界像へ」(水田洋他訳 みすず書房、1965年)やE. Zilselに依拠した広重徹の説明を紹介する(「物理学史 I」p.17-18).

   「自然は自立した存在であって、その現象は普遍的な、例外を許さぬ法則に従って整然と経過してゆくという観念があってはじめて、自然法則の探究を目的とする科学が成り立つ。」自然法則という観念は実は人類とともに古いわけではなく、16-17世紀のヨーロッパで成立したものであり、その成立においてデカルトの果たした役割は大きい(この点は、ワインバーグ「科学の発展」において無視されている)。

 実際、ギリシャ哲学においては「必然という観念はあっても、自然がそれに従う法(則)という考えはなかった。」中世ヨーロッパのスコラ学での基本カテゴリーは実体と属性、質料と形相であり、「法則というカテゴリーを欠いていた。」「ベーコンやギルバートそしてガリレオでさえ、明確に自覚的に``自然法則"という観念を形成していない。ガリレオは「法則性のことを``本性"とか``秩序"とかのことばで表している。しかし、デカルトになると、はっきりと自然にはある``法則"loisが確立されており、宇宙に存在し、生起する一切は厳密にこれに従う、という考えを表明し、自然についての学問は、まず自然の根本法則を見いだすことに努めなければならないと強調している。(「方法序説」第5部の初め等)」そして、ニュートンの「プリンピキア」において、「``現代人は、実体的形相や隠れた質をしりぞけて、自然現象を数学的法則に従わせることに努力した""と述べ」られるに至った。

 それではこの自然法則という観念の起源はどこにあるのであろうか?その起源としては二つ考えられる。「一つは、立法者としての(一神教の:TK)神が自然に課した法的規則という宗教的観念である。」「トマス・アキナスがこの考えを大成して、人間も自然も同じ(一神教の:TK)神の定めた法に従うと主張した。」自然が人間からはなれて自立していく過程の解明は近代思想史形成の重要テーマである。

 「もう一つの根は、職人たちがその技術的な仕事の中で求めた、仕事をうまくなしとげるための量的な規則である。」ガリレオはそのことに注意を払っていた。「しかし、問題は、この技術的規則という観念が、神が自然に課した法という観念といかに結びついたか、ということである。」

 その結びつきが17世紀ヨーロッパで起こったのは、「高度に発展した中央集権的な絶対主義国家が形成され」、「このような社会形態が、人々が自然をみるときのモデル、概念的な枠を提供することになったのである。すなわち、神は王に、自然法則は法律に、そして自然は理想的な法治国家になぞらえて理解されることになっていった、と解釈されるのである。」

3) ジョルダノ・ブルーノの「無限宇宙論」とニュートン慣性の法則

 ガリレオは「運動の合成可能性」ならびに「相対性」の原理を明確に述べ、運動学の成立において決定的な役割を果たした。また、物体に力が働かないときの物体の運動は等速運動である、という言明もしている。しかし、彼の等速運動は「等速の円運動」であった。力はベクトルであり、力が働かないときの運動ばベクトルとしての速度一定の運動であり、それは大きさだけでなく方向を一定の等速直線運動である。ニュートンの運動の第一法則は「慣性の法則」であり、それは正しく「物体に力が働かないとき、物体は静止を続けるか等速直線運動を続ける。」となっている。それでは、ガリレオニュートンの間に何が起こったのか?

 それは、ジョルダノ・ブルーノの「無限宇宙」という観念の存在である。ガリレオキリスト教の教義を疑わず有限宇宙論を前提としていた。そこでは無限に続ける直線運動は「不自然」である。一方、無限宇宙論を前提とすれば、等速直線運動を想定することに心理的抵抗はなくなる。このように、ニュートンによる近代力学の成立においては空間概念の革新が前提としてあった。

                                                                                                              [以上](2022/0916)

  

                                   

 

 

 

   

 

 

  

モノグラフ「くりこみ群法 の幾何学的定式化---流体方程式導出への応用を含む」(Springer,2022)の内容紹介

link.springer.com

                -with applications to derivation of causal fluid dynamics'

by Teiji Kunihiro, Yuta Kikuchi and Kyosuke Tsumura (Springer, April 1, 2022)

         

                                      [前書き]を基に内容を紹介する。

 このモノグラフの大きな目的は2つである。1つは、いわゆる「くりこみ群法(RG法)」とその拡張である二重項形式(doublet sheme)を幾何学的観点から包括的に説明し、様々な例を挙げて説明することである。第2は、その応用として、RG法に基づいて開発された二重項形式の2次の(因果律を満たす)流体力学の導出である:相対論的および非相対論的なボルツマン方程式から、因果律を満たす流体力学が輸送係数および緩和時間の微視的の表式を含めて導かれている。本書の内容は、いくつかの一般的総説と著者らのオリジナルな研究を基にした部分からなる。
 RG法とは、微分方程式の大域的・漸近的解析法であり、30年ほど前に米国イリノイ大のグループなどによって開発された。本書では、この方法が初等微分幾何学の概念である包絡線の理論に基づいて純粋に数学的な枠組みで定式化し解説されている。特に、RG 法が系の漸近的なゆっくりした時間発展を記述する透明で強力な方法を自然に与えることが強調されている:不変・吸引多様体の構築とその上で定義されたゆっくりした変数に対する還元動発展方程式がRG法により初等的且つ明示的に構成できる。それは、非線形振動子に対するクリロフ・ボゴリューボフ・ミトロポリスキー理論や、蔵本の縮約理論などの基礎付けにもなっていることが注意されている。

 扱われる例としてランジュバン方程式やフォッカー-プランク方程式のような確率方程式も含まれているが、著者の一人と松木平淳太によって定式化されたRG法の離散系への適用の解説は、他の部分と直接的な関係がないこととすでに本書が長大になっていることのために割愛されている。この部分は将来公表する機会があることが期待される。

 摂動論に基づく通常の縮約理論は, 無摂動方程式の線形演算子のゼロモードを利用する。しかし、いわゆる因果律を満たす2次の流体力学の導出では、与えられた系のメゾスコピックダイナミクスを取り入れる必要がある。たとえば、ボルツマン方程式から導出する場合、流速や温度、密度などの通常の流体変数からなる不変多様体を拡張し、適切な励起モードを縮約方程式の独立変数として取り込む必要がある。このモノグラフではまず、与えられた微視的方程式から適切な励起モードを含むメゾスコピックダイナミクスを構築するための一般的な縮約理論がRG方程式の拡張として定式化されている。この方法は二重項形式(doublet scheme)と呼ばれる。

 二重項形式に基づく因果律を満たす流体力学の導出は第二部で解説されている。こうして得られた流体力学方程式はエネルギーフレーム(ランダウ-リフシッツフレーム)に一意に決まる。さらに、輸送係数や緩和時間の微視的な表式が明示的に与えられている。それらは、輸送係数のKubo公式およびそれらを自然に拡張した形になっており、物理的に自然な解釈ができる。非相対論的領域での流体力学を超えたメゾスコピックダイナミクスの導出はフェルミオンからなる冷却原子に対しても行われている。
 本書は、これらの輸送係数や緩和時間の詳細な数値解析も行っており、その精確で効率的な数値計算法も提供されている。具体的には、二重指数積分公式と直接行列反転法が用いられている。非相対論的な量子系に対する数値計算では緩和時間近似の妥当性についても批判的に検証されている。
 

 本書は、少なくともRG法一般を解説している前半部分は、できるだけ教育的であることを意図して書かれており、物理学のRG理論に馴染みのない研究者だけでなく、線形微分方程式線形代数などの入門的な数学的素養のある人なら困難なく理解できるであろう。したがって、意欲的な学部学生にも少なくとも「くりこみ群法」を紹介している前半部分は理解可能のはずである。                   [以上]

                                                                                                             

武衛、武衛陣町、御霊町

問題:以下の町名読めますか?
上京区室町通り椹木町通り上る武衛陣町」
答え:かみぎょうく むろまちどおり (ここまでは「小学生問題」)
   さわらぎちょう どおり あがる ぶえいじんちょう
読めたとして、ここはどこでしょう?京都御所(以下、「京都御苑」、と読んでください)のすぐ西、平安女学院のある場所です。烏丸通に沿っては聖アグネス教会があります。北の境界は下立売通りです。

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平安女学院の敷地内にある「武衛陣」の石碑
そう言えば、先日、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で頼朝が鎌倉武士たちに武衛と呼ばれるシーンがありました(実際に呼ばれたかどうかは怪しいようですが)。
  この武衛陣町、日本歴史上重要な場所であることを私は比較的最近(2021年3月)に知りました。 (1) 2020年度のNHK大河ドラマ麒麟がくる」で向井理演ずる足利義輝が畳で押さえつけられて刺殺されたあの御所があった場所が、実は、ここ武衛陣でした。 そのとき、焼き払われたそうです。しかし、次の義昭もこの跡により大きい屋敷を作って住んでいた。そして、信長に対して最初の挙兵をしたのもここ。(2)それよりずっと前、 室町時代応仁の乱の前、ここに管領斯波氏の邸宅がありました。斯波氏のついていた役職名が左兵衛督や左兵衛佐であり、その唐名が武衛なので、この邸宅場所が武衛の場所、武衛陣と呼ばれるようになったそうです。しかし、驚くべきは、その名前が未だに使われていること!応仁の乱のときも焼け落ちずに済んだが、その後、斯波氏は領国の尾張の方に行って使われなくなったそうです。こんな「身近に」こんな歴史上の大事件が起こった場所があったとは! 今更ながら、京都恐るべし! 
 まあしかし、この武衛陣のすぐそこには蛤御門があるわけだし、京都はそこら中日本史上の重大事件が起こった場所だらけなんですけど、あらためて具体的に知ると驚いてしまいます。ちなみに、今日の散歩には目的があって、下御霊神社の最初の場所を同定しに行ったのだけど、そこはそこで、ちゃんと「御霊町」、という名前が残っていた!京都検察庁のところです。今の下御霊神社寺町通り丸太町下がるにあります。移転した(移転させられた)のは、秀吉の京都改造、都市計画のためだったようです。京都は哀しい街で、政治闘争の舞台だから、何か大きい政治上の事件があると、ほとんど焼き払われて更地にされてしまう。特に、今の中京あたり。信長は威圧のため、上京も焼き払った。 いずれにしても、人が住んでいるのは上京と下京。中京は室町通りが一本走るだけの草地。逆に、都市開発して新しい人を入れようとすると広大な更地は好都合で、ここに洛外から商売する連中を入れることにした。すると、ポツンとある神社はじゃま、ということだったようです。そこで、新たに造られた寺町に移動させられた、、、のでしょう。

「樋口一葉は明治の清少納言」---- NHKラジオ古典講読「紫式部日記」島内啓二講師

NHKラジオ 
王朝日記の世界Ⅱ 紫式部日記(21)
和泉式部清少納言への批評」「古典講読」島内啓二講師
がすばらしかった。私は深く深く感動した。
 紫式部は日記の中で、自分のライバルたち、和泉式部赤染衛門、そして清少納言の批評をしている。その主なターゲットは清少納言。驚くほど凄まじい批判ぶりである。彼女のような軽薄な人間が落ちぶれてみじめな晩年を過ごしたのは当然だ、と読める文で終わっている。
 これで終わったのでは少々後味が悪いなあ、と思っていたら、講師の島内啓二さんは、明治時代に跳び、樋口一葉清少納言の批評(「さをのしづく」https://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/4380_14361.html)
を紹介した。それは、清少納言に代わって樋口一葉による紫式部への反論、深い洞察に満ちた清少納言擁護だった。
 紫式部のように道長のような大物の後ろ盾があるわけではなく、また結婚もし歴史に残るような才女の娘がいるわけでもない清少納言。我が境遇への哀しみを内に秘めながら、自分の才覚だけで必死に平安の時代を健気に生き抜いた女性、それが清少納言なのだ。
 父親が早く死に、師匠との恋に破れ独身のまま女手一つで明治という男中心の社会の荒波の中で家族を守り行肉ために必死で闘った一葉だからこそ、清少納言をこのように深く理解し評価できたのだろう。島内啓二さんの最後のことば:
   「樋口一葉は明治の清少納言だったのですね。」
 

生物学の読書 (2022年2月8日増補)

最近集中して生物学/生理医学関係の本を読んでいる。感想はもう少し読書を続けて理解がまとまってきたころに書くことにして、ここでは読んだ本を記録しておく。

1. 福岡伸一関係

 「生物と無生物の間」(講談社現代新書、2007)

     「動的平衡 1,2,3」

 「最後の講義」

   著者は「トポロジー」とか「動的的平衡」とかの概念を好んで使用している。著者の数理科学の素養が感じられる。実際、最近は「動的平衡」の数理モデルを独自に構成して研究しているようだ。動的平衡(Dynamical equilibrium)は非平衡統計物理学でよく研究されている課題である。

 「エピジェネティクス」の概念も使われているが、そこでの簡単な解説だけで何となく分かったような気になる。後に紹介する仲野徹の解説書では、具体的な物質(タンパク質など)を基盤としたより詳細な幾何学的説明が与えられている。

 

2.E.シュレーディンガー「生命とは何か」(岩波新書 72)一部再読。

 膨大な数の分子で生物が構成されていること分子が量子力学に従い、

 エネルギーギャップがあることが生物の安定性の原因。福岡伸一の本では、

 よくこのシュレーディンガーの本が引用されているが、

 そこでは「大数」への言及はあるが、量子力学への言及はない。

 

3.中辻憲一「幹細胞と再生医療」(丸善出版、H27)

 幹細胞生成法としてiPSに集中しES細胞の使用を排撃することの

 理不尽、不合理。iPS細胞由来の幹細胞を再生医療に使うことの

 困難。生殖細胞よりも体制細胞はエピジェネティクスの装飾を多分に

 受けている。iPSの応用として創薬には有用かもしれない。しかし、iPS研究は

 多額の研究費をつぎ込み過ぎているので、薬ができたとしても(多分、何億円とか?の)莫大な値段にならざるを得ない可能性が高い。

 

4.仲野徹 「エピジェネティクス」(岩波新書、2014年)

  前半は何とか読める。(中辻の本にも言えるが)全体として漢字の連なる専門用語を自由に使用した解説。この分野を学習することになっている学生には適当な参考書なのかもしれないが、一般向けとしてはしんどい。最後の3分の1は、誠実に大風呂敷を広げない見解と展望。したがって、「...まだ分からない」とか「かもしれないしでないかもしれない」、という言説が続く。

 

5. 宮沢孝幸「京大おどろきのウィルス学講義」 (PHP新書)

   まず、最初の衝撃はレトロウィルスのこと。普通(central dogmaで)は、

 DNA--> RNA--->タンパク質形成。

レトロ(逆)ウイルスは逆転写酵素形成配列を持っていて、

上の向きを逆転した

RNA--->DNA-->RNA-->タンパク質

の過程を引き起こす。

日沼頼夫、高月清、三好勇夫らが成人T細胞白血病の原因があるレトロウィルスであることを明らかにした。(1982) 

これは、エイズの原因がレトロウィルス(HIV)であることを明らかにした

L.モンタニエ(1983)より早い。モンタニエはこの業績でノーベル賞を受賞したが、

本来なら日沼を同時受賞をすべきだった。

 

6.多田富雄:免疫・「自己」と「非自己」の科学 (NHKブックス,2001)

7.審良静男、黒崎知博「新しい免疫入門 自然免疫から自然炎症まで」

 (ブルーバックス,2021第14刷)

6.では受精卵からの生命の発生過程においてどう「自己」が形成され、それがどのように個体の免疫システムの基盤になっているか、そして利根川進の研究業績はその免疫機能においてどのように本質的役割を果たしているかなどが、格調高い文章で解説されている。

7.では副題の通り、免疫と炎症が同じ機能の異なる現象形態である、という最近の研究成果が物質を基盤にして具体的に説明されている。しかしながら、文章が少し「ゆるく」、クダケスギの感あり。それは、逆に文章を曖昧にし論理的な十全な把握を妨げている。6.は学者の文章、7.は研究者の文章、というべきか?

 

8.森和俊「細胞の中の分子生物学 最新・生命科学入門」(ブルーバックス、2016)

  京大で長年行ってきた非専門家向け講義をまとめたもの。まだ読み始めたところだが、明示的な分子構造を基礎に解説されていて、化学をある程度収めた者にはこの説明の仕方が一番分かりやすい。さらに、トピックごとにノーベル賞受賞に至った研究であることに言及し、その意義が分かりやすくなっている。

 

[今後の予定]

金子邦彦「生命とは何か」、「普遍生物学」

 統計物理学の生命現象への応用。たとえば、確率共鳴。

 

福岡と宮沢の本は読みやすい。彼らが大学での講義経験、それも必ずしも専門分野ではない学生向けの講義をした経験があるからか?

「松山」二題

私の生まれ故郷は四国の伊予松山である。伊予は文弱の土地と言われ、四国の中で唯一総理大臣が出ていないが、子規や虚子をはじめとする多くの俳人を輩出している。たとえば、内藤鳴雪河東碧梧桐中村草田男石田波郷。ノベール文学賞大江健三郎*1)も愛媛(内子)出身。中村草田男は松山中学で伊丹万作と同級だ。その伊丹万作の長男の映画監督伊丹十三は松山中学の後身である松山東高校大江健三郎と同級だった。司馬遼太郎の「坂の上の雲」によると、子規と同級だった秋山真之も当初は文学者志望であったようだ。彼が日露戦争日本海海戦において打った電報は名文として知られている。

 松山の旧市街はそんなに広くないので、子規の生家は私の家から石手川をはさんだ向こう側、歩いて十分程の距離にある。湯山川と呼ばれていた石手川は、17世紀初頭、加藤嘉明による松山築城の際、家臣の足立重信によって重信川と合流するように流れが変えられた。この重信川は以前は伊予川と呼ばれる暴れ川だったが、足立重信による改修工事により治まった。この功績により伊予川は重信川と改名されたのだった。

 重信川石手川の合流地点は「出合(であい)」と呼んでいた。ここはよい釣り場で、兄や友達と自転車に乗ってよく釣りに行った。

 若鮎の二手になりて上りけり 子規

この子規の句を知ったときは、子規が改めて身近に感じられ特別な感銘を受けた。そのことは、俳句甲子園松山東高校代表として活躍後、早稲田に進み俳人となった神野紗季もどこかで書いていた。そのエッセーでこの句が出合の風景を詠んだものであることを知ったのかも知れない。

松山は我が国最古と言われる道後温泉でも有名かもしれない。松山中学で英語教師だった夏目漱石は小説「坊ちゃん」の中で主人公に、

「ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。」

と褒めさせている。この道後温泉から遍路道に沿ってしばらく行った所に四国八十八箇所の一つ石手寺がある。その横の広場に大きな銅像が立っていた。あるとき、父が

「よく見なさい、郷土の偉人だ。」、

と言った。

「誰?」、

と訊くと、

秋山真之だ。おまえは知らんのか?」

と叱られた。日露戦争日本海海戦の参謀だったという。「天気晴朗なれど云々」の名文句も教えてくれた。そのとき、小さな疑問が浮かんだ。

「大将と参謀はどっちが偉いの?」

ちょっとした間の後、父は言い放った。

「参謀に決まっとろうが!」 

それ以来私の心の底には太っ腹な「大将型」ではなく、知能で貢献する「参謀型」に価値を置く人生観が根付いてしまったようだ。

 

[注] 1) https://biran2008.hatenablog.com/entry/2021/04/16/234405

  

世界第10位の研究力になってしまった我が国:国立大学「独法化」と財務省の「選択と集中」政策の「成果」

日本の研究が世界10位になったという報道があった。これに関連して、2018年12月に書いたもの*)に手を加えたものを掲載する。
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 大学は、独法化とそれに期を一にして取られた「選択と集中」政策のために、組織も人も貧困化している。「貧すれば鈍する」、これが今回の数字に表れた帰結である。
 ます誤解を解かないといけないのは、研究費よりも前に大学の「維持費」である運営交付金というデフォルトの教育・研究・人件費が毎年削減されている、ということである。これには教育費と人件費が含まれているので、なんとか最低限の大学教育を誠実に維持するために教員スタッフの給料を実質下げ(20年ほど前に年齢ごとの給与曲線を下に平行移動した)だけでなく、常勤の特に若い人のつく助教、准教授のポストを毎年のように減らしている、という状況なのである。したがって、有為の将来を担う若手研究者が付く常勤の教員ポストの絶対数がどんどん少なくなっている。
 その代わり、いやその上、と言うべきか、その補充は、「選択と集中」政策による「競争資金」でのみ獲得可能な任期付の(特定とか特別とかタイトルのついた)助教、(特定)准教授ポストとして行わざるを得ないという状況である。この3年、5年任期の非常勤のポストを一つ、二つ創設するために学部、学科を上げて「新分野」を作り申請書を書いてその予算を獲得して、何とか教育、研究活動を維持している。しかしこれは、退職金もない3年か5年で切られる任期付ポストである。どこかの会社に勤めていて出向で研究員してます、という話ではない。30歳も半ば、中には40歳を超しても、首が切られる、その後なんの保障もない。
 さらに驚くべきことは、世界的な業績を挙げた優れた若手研究者がそのような3年、5年任期の非常勤のポストに応募、殺到しているということである(少なくとも私の知っている分野では)。ときどき、テレビのワイドショーなどでXXさんは優秀で国際会議でも発表しています、などと言っているのを聞くが、そんなことは標準的な院生でもしていることである。査読付きの国際雑誌に何本も論文を書いて、何回も引用され、国際会議でもプレナリー講演に招待されるような世界的研究者たちが非常勤のポストを競っているのである。そしてそのような世界に誇るべき国の宝のような優秀な人たちでさえ任期付の何の身分保障もされていない(ブラック)ポストでしか採用できていないことがほとんどということなのである。
 なんという恥ずべき国になってしまったのか!こんな人生設計のできない職業に誰がチャレンジしようと思うのか?
 だから当然、 博士課程進学者がどんどん減少している。しかし、これはむしろ若者の健全な感覚を反映している自然な現象である。ただし、博士課程進学者が減っている先進国は日本ぐらいのものである。(私が大学院入試を受けた時の専攻の倍率はずっと10倍ほどあったが、3-4年前現在では3倍を維持できるかどうかであった。これでも全国の理学系博士課程では最上級に高い倍率であった。現在はもっと下がっているかもしれない。全国の大学の博士課程は選抜入試の意味を維持するのが難しい状況は10年以上前から続いている。一部で「学歴ロンダリング」と言われる所以である。)
 運営交付金は毎年減額されるので、現役の研究者は常に官僚の作った政策に沿う「新しい研究・教育プログラム」を考え、学部、学科総出で申請書を作成し、文科省にお伺いを立てないといけない。そのような状況でも世界に伍する研究成果を継続的に上げている大学研究者は超人のような人たちであり、尊敬に値する。しかし、この人たちは法人化前の環境であれば、世界を突き抜けるような独創的な研究をもっと発表できているかもしれないのだ。 
 「恥ずべき」と言えば、学術振興会特別研究員制度というものがあり、若手を採用し、数十万円の給料と年100万円ほどの研究費を配分する制度がある。この制度のいいところは、その研究費を使って外国の研究所の「留学できる」ことである。ところが、米国などに申請し、先方の研究者、研究所で了解が得られた後、事務手続きになったところで、トラブルが発生する。滞在費は学振の研究費で賄います、という約束なので、そのお金は月いくらですか?、という問い合わせが先方からくる。それを知らせると、
「そんな少額ではここでのちゃんとしか生活が保障できない。預金はあるのか?それで補填できるかどうか確認するから通帳のコピーを送れ!」、
という誠にembarrasingな事態に陥るのである。これを国の恥と言わずしてなんといおう。
 そう、日本はここ数十年社会全体が貧困化しているが、「大学研究者」になるということは、それどころではなく、「食っていけない」仕事を続けるということになってしまっているのである。やりたい「研究」をやりたいための研究費が足りない、というようなある意味「贅沢」を言っているのではないのだ。「食えない」究極の「ブラックな」職業には、いくら研究が好きで能力があっても、よほど金持ちの子女でない限り、人は離れていくだろう。財務省の「選択と集中」政策は、大学の研究職をこれからアカデミアの研究職を目指す人にとっては職業として成立しないものにしてしまった。
 どのような文化的、あるいは経済的営為もすべて人が行っているのである。学問研究をこのように実質「食えない」業種にしてしまっている。科学研究あるいは学問という「新しい知識」を作っていく業界を日本は国を挙げてつぶしていっていると言える。
 財務省の役人は、現在の論文数の減少をこれ見よがしに指摘して、現在の大学人や院生、ポスドクのレベルが低いと言って憚らない**)が、しかし、常識的に考えて見よ、2000年までのわが国の世界トップレベルの研究者と2000年以降、独法化した後の現在のわが国の研究者は別の人種なのだろうか、何か原因があって「能力」が落ちてしまったとでもいうのだろか?自分たちの政策の無謬が前提の官僚はそういう結論になるようである。彼らにとっての公理は自分たちの無謬性と字面の上の論理的整合性なのであろう。実態と言葉の乖離はそこでは問われていない。そして、彼らは本当の意味の研究、新しい知識を構成していく、という営為をしたことがないのであるから、真実が見えていない。見る観点や見えたことを位置づける概念的枠組みもないのかも知れない。
 それでは2000年までとそれ以降で決定的に違ったことはなんだろうか?それは、国立大学が独法化された、ということ、そして、「独立」とは名ばかりで、法律の縛りから解放された官僚が自分たちの裁量で、すなわち、研究・教育の素人の彼らが彼らの「見識」で好き勝手をするようになったということである。
 そして、財務省は「予算削減」の結論を導くために都合のよいデータ(コンテクストを無視して)を集めて作文しているだけである。研究・教育への洞察を持った目でその実態を見て報告しているのではない。真実かどうかは驚くほど無頓着である。「予算削減」という結論に至るように「意味」に無関係にデータを組み合わせ作文しているだけである。その能力は中学以降の受験で誰にも負けなかった彼らである。自分の作文にほれぼれしているかのようである。 
 繰り返すが、彼らには研究というものが分かっていない。官僚の多くはイギリスやアメリカなどの有名大学の大学院を出ている。しかし、その実態は研究をするのではなく、少し高度のスクーリングを行う外国特有の大学院のようだ。諸外国と違い、博士論文を書いている我が国の官僚はほとんどいないのではないだろうか?だから、彼らは文字通り研究実践についてあまりに無知蒙昧、no ideaなので、元京都大学総長の国立大学協会会長に
「君は教育、研究が分かっているのか?(分かっていないよ!)」、
と叱られると、傲慢にも
「分かっていますよ。馬鹿にしないでください!」、
などと恥ずかしくも逆切れしてしまうことしかできないのだ。
 彼らは、結局、既存の知識の勉強しか知らないから、たとえば、
      独創的な研究とは独創的な問題発見を伴う、
ということが分かっていない。だから、「ギフティッド」を集めればよい、などと思いっきり「研究とは何か、どういう営為かわかっていません!」、と告白してしまう。この発言を是非、その能力があるなら、英語で発信すればよい、そして、諸外国の教育、研究に感心がある人と議論してほしい。しかし、博士の訓練を受けていない、そして博士の学位のない彼らが、PhD取得が当たり前の諸外国の官僚と対等に議論できるか心もとないが。
  ここで、急いで注意したいのは、企業は世界市場で戦っているので、少しづつ(少なくとも)理数系の博士の能力の高さ、有能性、有用性を認識してきているようだ、ということである。だから、理数系の大学院、博士課程までいって自分を成長させることは大いに推奨される。実際、私のいた研究室で博士の学位を取った学生で企業就職希望の者はすぐに企業に就職を決めている。
このような世界認識の企業に対して、高校で数学の必修をやめた方がよい、というようなことを平気で言う人が事務次官をしていたのが文部科学省なのである。このような研究と教育の「素人」の官僚から我が国の研究、教育政策を解放しないと、我が国の大学の教育・研究の未来は暗い。
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*)2018年12月13日、テレビのある番組で現在の大学と研究者を取り巻く状況をよく伝えていたことに刺激を受けて書いた文章。
 研究費よりも前に運営交付金という教育・研究・人件費が毎年削減されている。教育費と人件費が含まれている。そのため、なんとか採点現の大学教育を維持するため、常勤の特に若い人のつく助教、准教授のポストを毎年減らさざるを得ず、「選択と集中」政策により「競争資金でのみ獲得可能な任期付の(特定とか特別とかタイトルのついた)助教、准教授ポストを学部、学科を上げて申請書を書いてその予算を獲得して、何とか教育、研究活動を維持している。
 しかも、現在そのようなポストに採用される人は(少なくとも理学系では)世界的な業績を上げた人です。しかし、その人たちでさえ任期付の何の身分保障もされていない(ブラック)ポストでしか採用できていないことがほとんどという厳しい現実。そう、日本では今や「研究者」という職業は「食っていけない」業種になっている。それを最後にレポーターがはっきり口にしてくれたのはとてもよかった。やりたい「研究」をやりたいための研究費が足りない、というようなある意味「贅沢」を言っているのではないのです。
 科学研究あるいは学問という「新しい知識」を作っていく業界を日本は国を挙げてつぶしていっていると言える。番組の言うように、「ノーベル賞」は象徴です。現在の論文数の減少をこれ見よがしに指摘して、財務省の担当役人は言いますが、2000年までの世界トップレベルの研究者と2000年以降、独法化した後の現在の研究者は別の人間なのでしょうか?財務省は「予算削減」の結論を導くために都合のよいデータ(コンテクストを無視して)を集めて作文しているだけとしか思えません。我が国の教育、研究の発展を責任を持って本当に発展させようと思っているのか、強く疑問に思っています。
 
**)2018年10月18日に書いた文章:
この官僚さんの意見についてずっと考えていました。以下が今の私の感想です。
この神田主計局次長という人は灘高、東大法学部、財務省(大蔵省)という経歴の人で、典型的な「エリート」です。情報処理能力は飛び抜けて優れていて、彼の大学人全般や文部官僚全体を見下したような発言をしてしまえる自信は多分そこに依拠しているのではないかと思います。そして、官僚らしい無謬性への固執と財務官僚らしい、予算支出をしたくない、いや削りたい、という組織の大原則。それらの原則に表面上整合的になるよう様々の情報に目配せし恣意的に作文したのが、彼の発言ではないかと解釈します。それは財務官僚の答案としては95点以上の答案で、「褒められる」もので、彼も「どうだ!」と胸を張っているのではないでしょうか?
しかし、すくなくともそこには研究や教育についての新しい事態に対して、これらの本質に対する洞察に基づく構成的(constructive)な提案もなにもありません。政策責任者としては無責任の誹りを免れないと思います。我が国の研究と教育の健全な発展を願う者としては全く残念です。
(補足:残念ながら、彼ら官僚さん達だけに責任があるわけでではないと思う。当時の名だたる研究者もその政策決定に関与しているようです。元阪大学長さんはそのことを告白して「運営交付金を毎年削減していくのはやりすぎたかもしれない。」というようなことを言われていた。また、山極さんも「失敗だった」、というところから出発せず、現在の大学での研究、教育の窮状、疲弊状況についての「事実」から出発して、改善のための議論を提起していくとよかったのかもしれない。その議論の中で、「法人化スキーム」が「手枷足枷」になるということになれば議論の遡上に乗せる、、、というようなやり方。甘いかな?):2回目の改訂:読み直して、不穏当と思える表現を改めました。これでもまだ「過激」かもしれませんが。