40年ほど前のある教授の新入院生向け講演

私の先生(故人)が40年ほど前に物理の新入院生向けに講演を行った。部屋の整理をしていたらそのとき取ったメモが出てきた。読んでみると、今でも学生だけでなく現役の研究者にも役立つと思われるとてもいい内容だ。このまま埋もれさせておくのはもったいないので以下に(言葉を補なって)再録する。なお、この講演会は物理院会の主催したものだった。また、講演者はこのとき44才。

   <物理の新入院生向けにT教授の行った講演>

一般的な話をする。

    大学院と学部の差は何か?

たとえば、バナールは学部と大学院の質的な差を指摘し、「今までのことはすべて忘れよ。」と言っている。

  しかし、忘れることはできない。学部では問題は与えられていてそれを解く。一方、大学院では自分で問題を作る。そこに独創性がある。

現在、競争が激しく、流行がある。それは科学研究のフロントである。したがって、流行を無視することはまちがっている。がしかし、それのみに追随していくのは自分の独創性が出せないことになる。たとえば、流行の終わった後、それをやる、ということも意味がある。科学研究には回帰現象があるから。

 修士時代をどう過ごすか?

最初の1年はなるべく広く勉強する。修士論文のテーマはスタッフが与えることが多い。(上で指摘した独創性の発揮との関連で)どう考えるか?

1) トレーニングだ。2)他人のアイデアで自分が実験する。

テーマが与えられたとして、研究者として成長するか?

i) 与えられたテーマの分析を行い、自らのテーマとする。ii) 与えられたアイデアを分析し、自らのアイデアに深化させる。

 研究室の役割

 研究室に出て生活を共にすることは重要だ。研究活動には一言では言えないバックグラウンドがある。たとえば、

・ものを見る味方(自然観)というものがある。

・研究を進めるうえでの技術を学ぶところである。

・対話が重要である。対話の中で自分の考えが深められる。(弁証法的発展:ダイアレクティック)

 院生時代の研究とその後の研究

私の経験からも、最初にやった研究が物事を考えるときのバックになっている。核になる。したがって、院生時代の研究は大切に考えないといけない。

 最初やるときは小さいかも知れないが、それを他分野とつなげるなど広げていって自分の足場とする。

 教育から研究へ

どういう風に教育から研究に移っていくか、という問題には正解はないだろう。広く勉強する、という考え方もあるし、早く専門家する、という考え方もある。言えることは、どちらにしろ極端に走ることはよくない、ということだろう。テーマに則して自分の幅を広げていかないといけない。専門研究は一生懸命やらないといけないことは言うまでもないが、心構えとしては関心を広く持つこと。「generalistになれ。」あまり「共鳴」の幅を狭くするとよくない。視野を広く。そのことを研究自体も社会も求めている。

 共同利用研と研究者の自治、研究室の重要性

物理分野では全国的グループが存在し、また、さまざまの共同利用研がある。たとえば、物性研、プラズマ研、基礎物理学研究所、高エネルギー研、核物理研究センター、宇宙線研等。共同利用研を利用することによって研究者の自治を早くから経験することができる。研究室は縦と横の結節点である。研究室を大切にすることが必要である。

                                                                          [以上]

風花

「俳句歳時記第四版増補冬」(角川学芸出版編;角川ソフィア文庫)によると、

 風花とは、冬晴れの日に、青空から舞い降りる雪片のこと。

リハビリで行っている自転車こぎの途中ふと顔を上げると、青空を背景に広い窓の向こう一面に雪が舞っている。「風花だ!」

 最近御見かけしないYさんのことが頭に浮かぶ。Yさんはいくつも「風花」を配した名句を作られていた。その句を読んで私は「風花」ということばを知ったのだ。消息を看護師さんに訊くと、入院されているとのこと。

少し感慨にふけった後、こんな下手な句が浮かんだ。

      風花や虚空に浮かぶゆかし貌

      風花や虚空の向こうに病みしきみ

 

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伊丹十三

伊丹十三のエッセイを読むと彼の異常な多方面での天才ぶりとヒリヒリするような繊細で鋭敏な感覚に圧倒される。どのようにしてこの多チャンネルの反応性に富む一流のしかし危うい才能は生まれたのか?人生の終盤で到着した映画監督という職業は彼の天才を発揮させるのに有効な仕事であった。その邂逅は彼にとってもまた我々にとっても幸運なことであったろう。しかしそれでも彼の多才ぶりを十全に収容するには不十分であったかもしれない。彼はほとんどレオナルド・ダビンチのようである、というと言い過ぎであろうか?
 伊丹十三は1933年京都生まれで、科学の英才教育を受ける子供に選ばれた。同級には湯川や貝塚茂樹のご子息もいたそうだ。1932年生まれの荒木不二洋さん(1933年生まれ。数理物理学者。元京都大学数理解析研究所所長。)もこの英才教育を受けていた、と記憶する。伊丹十三(本名;池内岳彦)は英語は抜群の成績で先生よりもできたそうである。

   父親伊丹万作)の死後、山城高校から父親の郷里の四国の都市に移り住みそこの進学校に編入される。ちなみに、伊丹十三少年が母親および妹と住んだお寺は私が通った公立中学の直ぐ側にあった。この地域は市外を流れる石手川の向こうにあり、田んぼばかりある地域である。小学校や中学校も田んぼをつぶして作られた回りを田んぼに囲まれた学校であった。「島流しにあった。」、というのは実感に近いのではないか?
年齢は一つ下ながら同じ高校の2年生として、落第した伊丹と同級になった大江健三郎は、その地方都市よりももっと田舎の内子から来たのであった。それぞれ正反対の理由で地方都市の高校の中で疎外感を抱いていた。

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「漢字とは何か」、岡田英弘

最近,東京外国語大学名誉教授で東洋史学者の岡田英弘氏が亡くなった(2017年5月)。彼の本は何冊か読んでいる。最初に講談社現代新書の「中国文明の歴史」をざっと読んで感銘を受けたので、同じ話題、特に中国人にとっての漢字/漢文の役割について敷衍した解説を読みたくて、市立図書館から岡田英弘著作集IV「シナ(チャイナ)とは何か」を借りてきて読んだ。

 その第IV部「漢字とは何か」はとてもおもしろかった。1986年、私が中国を訪問して西安の碑林を案内されたときの記憶とよく合致している。碑林には古代からの中国の石碑が収納されている。読もうと思えば何とか意味がつかめそうだが、念のために案内してくれた中国人院生に何と書いてあるのか尋ねた。ところが、驚いたことにその若い中国人は読むこともできない、ましてや意味など全然分からないと言った。そしてそのことを当然とし、恥ともなんとも思っていないようだった。その反応が不思議でたまらなかった。そのときの不思議な気持ちがずうっと残っていたが、この本を読んでそれが当然である、ということがクリアに理解できた。

 我々の習う漢文、つまりシナ人の古典はどの民族の話ことばとも関係のなに人口言語、主に、商売をするために作られた書くためだけの言語体系である。太平洋の島々では商業のためにフランス語や英語の文法をほとんど無視した言語、ピジンが使われているが、中国といわれる土地の人々は陸続きながら様々な言語をしゃべる民族の集合体なので、生きていくため、商いをするための最低限の言語を作った。それが漢文である。

 漢文は事実や現実に存在するものを記述することはできるが、抽象的な概念や情緒などを表現することが難しい。漢文を使いこなすには、範型となる意味不明の記号と音の羅列にしか過ぎない古典を頭にたたきこんでおかないといけない。現代では、その範型の役割を毛沢東選集がになっている。この漢文をあやつって表現できることは、古典に書いてある紋切型のことや表現、現代では毛沢東がいいそうな勇ましい社会主義的な言辞にならざるを得ない。しかもそれができるのは、漢文を読むという訓練のできた一部の知識人だけだ。ほとんどの人民大衆は文字やそれによって表現される様々の概念から疎外されている。そこでは、生きていくこと、金儲けをすること、つまり実利だけを理解する人々が圧倒的な多数を占める社会が存在することになる。

 しかし、彼らもひとたび情緒の自由な表現を持つ英語や日本語を話すことになると、人間性あふれる人々に相転移するのである。

白州正子「いまなぜ青山二郎なのか」、小林秀雄のこと

何年か前、NHK白州次郎の人生をドラマでみせていた。そこで、白洲正子の先生として青山二郎なる人物が出てくる。ドラマでは市川亀二郎が演じていた。初めて聞く名前の人だが、エキセントリックで気障で破滅的でとても魅力的な人物に描かれていた。お気に入りの本屋をうろうろしていたら、白州正子コーナーがあり、それに並んで青山二郎コーナーもあった。ここの本揃えは心憎いばかりだ。いろいろ考えて、白州正子の「いまなぜ青山二郎なのか」と「青山二郎全文集 上」を買った。

 まだ全部は読めていないが、関係した人物として戦後の文化人の名前が続々と出てくる。特に、小林秀雄河上徹太郎大岡昇平。そしてその関連で中原中也坂口安吾。女性では、竹原はん、宇野千代、そして聞いたこともなかった坂本睦子。彼ら男達の野獣のような自由な「行動力」に驚いてしまう。その「行動」の対象に坂本睦子と言う人がいたらしい。 

 小林秀雄青山二郎に、お前の書いたものは上手に奇を衒って書いているので読ませるが、肝心のテーマが、対象がすっぽりと抜け落ちているではないか!だめだなあ!、とか批判されて、言葉も返せず何度も泣いていたそうだ。

 その小林はしばらくは文学評論から遠ざかっていた。(晩年に本居宣長の大長編評論を書いています。が、以下のエピソードは戦後すぐの話。)それを辰野隆東大教授に指摘されて、はい、もうあんな狭苦しい世界からはおさらばです。いままで精神がどうかしていました、というようなことを言っている。確かに、「モーツアルト」や「ゴッホ」、「セザンヌ」などという評論を書いています。しかし、これらが青山二郎によれば失敗作なのでしょう。小林秀雄はその座談が一番いいらしい。

 私も十数年前に少しは教養を身につけようと、小林秀雄を何冊か買ってみたことがある。そのときの感想は、何だこれは、凡庸な、ということだった。「モーツアルト」など途中で楽譜があったりするので、(楽譜が読めない人には)何か高級そうにみえたのかもしれないが、私には参考文献からの引き写し以外、素人の無内容な感想としか読めなかった。これには正直驚いた。

 高校のときの国語の教科書に小林の「無常ということ」(「無常といふこと」だったかもしれないが、確かめていない)が載っていて最高級の日本語のエッセイということで読まされた。しかし、何回読み直しても霧の中を歩いているようで何を言いたいのか皆目分からず、自分は国語はできない人なのだ、いう敗北感だけを持った覚えがある。しかし、それから何十年、自分でも明快に理解できる文章がちゃんとあることを知り、自分自身も論文や仕事上のドキュメントでいろいろな文章を書くという経験を経た今小林の文章を読むと、これはいけない、むしろ、にせものだ、という感想しか浮かばない。

 私の正直な感想はこんなものがありがたがる日本の文化の二流性だったが、実際はそれほどひどくない、ということを上記の白洲正子の本によって知った。身近の人たちは小林の「にせもの性」を見抜いていたようなのだから。しかし、奇を衒った小林の文章を高級なものとしてありがたがる多くの「指導的知識人」がいたのだ。だから、高校の教科書にも出ていたのだったろう。

 最後の畢生の大作「本居宣長」にしても、小林秀雄賞を受賞した橋本治に、小林秀雄は根本のところで本居宣長を読み誤っている、本質が全然つかめてない、と「小林秀雄の恵み」で批判されているのは、皮肉なことだ。

「どうかな?」、と思う科学用語:レム睡眠、地震のS、P波

睡眠中に「金縛り」にあったという人の話はよく聞く。『ステキな金縛り』という三谷幸喜監督の映画もあるが、実際のところ、霊には関係ない。そんなに霊さんも暇ではない。ちょっと調べてみると、「金縛り」は睡眠障害の一種らしい。人間の睡眠にはレム睡眠というのがあり、その間は身体のコントロールができなくなっている。つまり神経もオフの状態。しかし、通常は意識も睡眠中のためそのオフの状態が意識されないだけである。ところが、身体が極度に疲れていたり睡眠不足のときには、身体はレム睡眠状態だが意識がオフになっていないことが起こる。このとき、からだがコントロールできない状態にあることが意識されてしまう。これが「金縛り状態」である。

ところで、このレム睡眠という用語、ずっと神秘的だと思っていた。「レム」というのは、身体の運動神経と意識がオフになっているということに関係したラテン語かなにかだろうか?

実は、

レム=Rapid Eye Moving=高速眼球運動。

レム睡眠状態は、眼球が高速に動いていることが臨床的(現象論的)特徴である。それで、Rapid Eye Movingの頭文字をとって、REM!

身体のコントロールがオフになっている、という本質と無関係の用語である。

このような、ちょっと深遠そうで実は「べた」という科学用語が他にもある。地震波はS波とP波があり、P波が最初に来て次にS波が来る。S波による揺れが大きい。高校の地学でならったとき、どちらが先にくるのか覚えないといけなかった。P波は縦波、S波は横波である。P、Sという文字は縦波、横波、ということの連想に結びつかない。したがって、これらの相関関連をよく考えないといけない、あまり自明な問題ではなかった。(今では、岩石を収縮・膨張させる方がずれさせるよりも力が余計にかかるから、縦波のP波の方が早く来るんだな、と理解できる。)

しかし、実は、P波のPはPrimaryの頭文字、S波のSはSecondaryの頭文字である。だから、P波が第一の波だから最初に来るのは当たり前で、S波は二番目だから次に来る。これを知ったのは高校を出て何年もたった30歳代になってからである。それを知ったときのショックを今でも覚えている。地震学の先生、あまりに用語が「べた」ではないですか!

REM睡眠はそれに匹敵するショックな科学用語である。

医学とか、地震学とか、発展段階が現象論的な段階が長い学問は用語が現象論的になる傾向があるのであろう。実体論的段階に至ると、もう少し内容が見える用語になる。

物理の場合、現象論的段階の例としては、たとえば、「核力」がある。核を結び付けている力!まさに「べた」である。それが「湯川の中間子理論」という実体論になり、一旦「強い相互作用」という概念に現象論的に再整理された後、より下の階層の物質を想定する「クォーク模型」が導入され新たな実体論的段階を経て、最後に「量子色力学QCD」に止揚され本質論に至った。

米映画「The Reader(愛の朗読者)」

7,8年前飛行機の中でたまたま観た映画。おもしろくなければ他のを、と考えていたのだけれど、ぐんぐん引き込まれて2時間以上のこの映画を最後まで観てしまった。ヒロインのハンナ・シュミットを演じていたのは、1975年生まれのKate Winslet。これでアカデミー主演女優賞を得ている。原作者はドイツフンボルト大学法学部教授Berhard Schlink。原作は世界的ベストセラーだそうだ。ナチ犯罪に関わった、いや、関わらざる得なかった戦前のドイツ市民、市井の人々、その人たちと深く関わって共に生き、生活する戦後世代がそのような市井の人々の犯罪を裁くことの意味、不条理、欺瞞。ハンナ・シュミットユダヤ人大量焼死の責任者でその証拠にその報告書を書いたとされ終身刑を受けるが、実は文盲であった。読めも書くこともできない。さらに、この映画では、年齢の離れた男女の間の恋愛が描かれており、しかも50年以上もの時のながれを描いているために、人生の意味を、短さを考えさせずにはおかない。出所する日に自殺したハンナ・シュミットの人生は何だったのか?なぜ自殺したのか?何に絶望して?この映画を見終わった後何時間もこの映画のことが頭を離れなかった。