物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

量子力学の摂動論とフレドホルムの交代定理

いきなりあまり馴染みのない「フレドホルムの交代定理」とか言われると何のことかと思うかもしれないが、これは連立方程式が一意に解けたり不定な解をもつ場合を場合分けする話である。

中学校で習う1次方程式

3x=2 の解はx=2/3 である。それでは、文字にしてax=bのときはどうであろう。その解をx=b/aとしてはいけない!  これはaがゼロでない場合のみ正しい。a=0の場合は更に場合分けされて、(i) b=0のとき、解は不定(なんでもよい)、(ii) b\not=0のとき、解なし(不能)である。

n元連立方程式

Ax=b、 (簡単のため、Aはn次の対称な正方行列とする、x, bはそれぞれ未知、既知のn次元ベクトル)

の場合は、Aが正則(det A\not=0)、すなわち、逆A^{-1}が存在する場合は、一意にx=A^{-1}bと解ける。一方、Aが特異な場合(det A=0)は、bについて場合分けされる。記述を簡潔にするために、今の場合Aにゼロ固有値が存在することに注意しよう。その独立な解(ゼロモードと呼ぶ)がm個あるとし、x^{0}_i (i=1, 2, ,,,m<n)とする。(m=n)でもよいが記述を簡潔にするため

1<m<nとしておく。ゼロモードの張る部分ベクトル空間(Ker A)をP空間と呼びその射影演算子をPとする。その補空間およびそれへの射影演算子をQと書くと、、

(i) bがゼロモー成分を持たない、すなわち、(x^{0}_i,b)=0 (i=1, 2, ..m)のとき、

x=(QAQ)^{-1}b+\sum_{i=1}^m c_ix^{0}_i

となる。係数c_iは不定の定数である。

(ii) 上が成り立たない場合、解を持たない。

このように、Aが正則が特異かで解の構造が変化することを積分方程式に拡張したのが「フレドホルムの交代定理」である。(たとえば、吉田耕作著「

積分方程式論 第2版」(岩波全書、1997年) セクション29参照。)そして、Aが特異のときに解が存在する条件、すなわち、定数ベクトルbがゼロモードと直交する条件を、可解条件(solovability condition、あるいは、solubility condition)という。

さて、これが(量子力学の)摂動論とどう関係しているのだろうか?と訝しがる読者もいるだろう。実際、私の知る限り量子力学の摂動論に「フレドホルムの交代定理」に言及しているものはない。(拙著「量子力学」を例外として。)

実は、摂動論ではこの定理、特に、「可解条件」は暗黙の裡に有効活用されているのである。ハミルトニアンがH=H_0+λ H_1と小さいパラメータλを含む場合の固有値問題(E-H)φ=0の解(E, φ)の組をλのテーラー展開で求める問題を考えよう。ゼロ次解を(E_0, φ_0)とする:

(E_0-H_0)φ_0=0.

ただし、ゼロモードに縮退がないとする。

このとき、たとえば、1次の摂動方程式は

(E_0-H_0)φ_1=H_1φ_0-E_1φ_0

となる。この方程式から求めるべき量はφ_1とE_1の2つである。方程式は1本しかないのに!

ここで、E_0-H_0=A, φ_1=x, 右辺=b(E_1)、と書くと、上式は

Ax=b(E_1)

となる。これは上で扱った1次方程式(線型方程式)と同じ構造をしている。実際、Aはゼロモードを持つ:Aφ_0=0.

したがって、「可解条件」を課さないと解けない。それは、

(φ_0, b(E_1))=0.

これはより、未知のエネルギー補正E_1が与えられる:E_1=(φ_0,H_1φ_0).このように与えられたE_1を代入すると、右辺は補空間Qのベクトルとなり、Aの逆を取ることができ、波動関数の補正φ_1が求まる:

φ_1=(E_0-H_0)^{-1}QH_1φ_0+ cφ_0.

 

実は、 最後のゼロモードの項の処理が量子力学の摂動論のもう一つのポイントであるが、詳しくは拙著「量子力学」か他の量子力学の教科書を見ていただくことにして、ここでは、この項が場の理論でよく聞く「くりこみ」に関係している、ということのみ指摘しておく。(このゼロモードの付加の問題を最初の版ではうっかりして書き忘れていたので、2018年9月10日に補足した。)

このように、量子力学の摂動論では特異な線型演算子が現れ、可解条件(「フレドホルムの交代定理」)がそれとなく、しかし、本質的な働きをしている。

 

なお、量子力学以外の分野、たとえば、非線型振動子のクリロフ-ボゴリューボフ-ミトロポルスキーの理論や非線型波動の解析に使われる逓減摂動法、あるいは、パターン形成の縮約理論などではも、この「可解条件」は本質的な役割を果たしている。