物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

驚異の尾崎真理子著「大江健三郎全小説全解説」、しかし、大江本人の「私という小説家の作り方」の方が凄い!

元読売新聞記者で現在早稲田大学教授の
尾崎真理子さんの書いた「大江健三郎全小説全解説」という、
とんでもないタイトルに興味をそそられ手に取って読んでみた。
もともと大江健三郎は一頃全部ではないがよく読んでいたので、
興味津々の事項が続々と出てくる。
それは小説の本質的な種明かしもあるし、ゴシップ的なものもある。
たとえば、初めて知ったのだが、松山東高校以来の友人、池内タケちゃん(伊丹一三-->伊丹十三)は「性的人間」の主人公Jとその妻との関係や「日常生活の冒険」の斉木犀吉のモデル!らしい。
同時代ゲーム」あたりから自分の読者が急速に減っていって、今では読者が少ないことへの言及が大江のエッセーにはよく出てくる。それは、自分の責任だ、とも書いているのだが。尾崎真理子さんでも「同時代ゲーム」は読み通すのに苦労した、と書いてあった。実際、私も「同時代ゲーム」あたりからしばらく大江をフォローするのをやめた。「雨の木」あたりから復活し、いくつかは読むようにはなったが。
しかし、「同時代ゲーム」は重要な作品らしく、これを読むには「M/Tと森の不思議の物語」を先きに読むというアドバイスがこの「全解説」には書いてある。ありがたい。
 
この尾崎真理子さんという人は、大江だけでなく関連本も渉猟して読み咀嚼している
ただものではないことはよく分かった。普通ではないのは、彼女の大江健三郎への
思い入れの方、「惚れ込んでいる」という言葉があてはまるほどの、かも
しれない。
 
いずれにしろ、大江への興味が再燃し上記の解説を3分の2ほど読み進んだ後、
関連本を何冊か読んだ。先日は大学の図書館に行って書架に並んでいる「群像」の
バックナンバーにある大江関連記事まで読んだ。
 
筒井康隆か誰かが、谷崎の時代の後はずっと大江の時代だった、と
言っていたそうだ。確かに、大江は日本人離れした巨大な作家だと
改めてつくづく思う。ノーベル賞が授賞されるということは、やはり、
とんでもないことなのだ。
 
実は、私は大江健三郎と同じ高校を出ている。そして、私が高校に入った年、
前身の旧制中学創設以来90周年とかの記念行事に大江健三郎と(あと一人電気工学者の喜安善一氏)が来て、大江は
「我が内なる子規」、
とかいう題で講演をした。今調べると、彼はそのとき33歳!しかし、
既に「個人的な体験」や「万延元年のフットボールを上梓し、これらでそれぞれ
新潮社文学賞谷崎潤一郎賞を受賞している!
講演はしかし、俯いてぶつぶついうだけなので何を言っているのか分からなかった。
聞こえてもこちらには内容を理解する素養がなかった。正に、「猫に小判」。
講演録は著作権の関係で記念冊子には収録されず、2年生の女子生徒(試験の平均点が
いつも95点以上、と下級生の我々にも伝わっていた。後に、シェークスピア学者となった。)が内容と批評を書いたものがその記念冊子に載せられた。ちなみに、大江の筆になる「我が内なる子規」というエッセーは、彼の評論集(「厳粛な綱渡り」?)に載っていたのを大学に入ってから読んだ記憶がある。それでも頭に残っていないが。)
 
関連本として、同じく尾崎真理子が聞き手と構成を務めた、
大江健三郎 作家自身を語る」(新潮社、2007年)
大江健三郎著「私という小説家の作り方」(新潮社、1998年:新潮社文庫2001年)
を読んだ(ただし、後者の文庫)。驚いたことに、この自伝的解説が一番感動が
深かった。
大江は「魂のことを書く」小説を志向している。それは普遍的な課題である。したがって、彼は自分の文学をドストエフスキーやフォークナーと同一の基準で比較する
ことができるし、武満徹とその音楽から深く学ぶことができるのである。
今回の読書でそのことの意味と深刻さがよく分かった。