物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

読書メモ:山本みなみ「史伝北条義時」、沙川貴大「物理学最前線28 非平衡統計力学」、宮下精二「基幹講座物理学 統計力学」

ごく最近読んだ本で特に感銘を受けたものをメモしておく。

1. 山本みなみ著「史伝北条義時」(小学館、2021年)

    承久の乱がなぜ起こり、その結果、上皇が3人も島流しにされるというようなことが現実となったのかに興味があったので、この本の終わり3分の1ほどを読んだ。基本史料および主だった先行研究を広範に渉猟し、それらの要領のよい整理をしてくれているだけでなく、新史料を含む史料の独自の深い読み込みと論理的推論により、先学の権威に臆することなく、著者独自の見解を説得的に披瀝している。たとえば、義時の「突然の死」が毒殺ではないこと、政子、義時両人の政治的センスの良さと能力の高さ、義時の墓が頼朝の墓と並んで建てられたことの背景と意味(鎌倉に武士政権を確立した頼朝と並ぶ立役者であること)の解明.。まだ30歳台前半の若い学究であるが、すでに完成した大家の印象を受けた。まだ読み残した部分や彼女の他の著作を読むのが楽しみだ。

2.沙川貴大著「非平衡統計力学 ゆらぎの熱力学から情報熱力学まで」(物理学最前線28 共立出版、2022年)  まだ、最初の2章しか読み切っていないが、この2章に情報熱力学および非平衡統計力学の画期的な進展のエッセンスは明快に記述されていると思う。すなわち、確率分布関数で表現されているシャノンエントロピー(にk_BTを掛けたもの)を非平衡状態を含む物理系のエントロピーと同定できる、ということである。この同定の妥当性は平衡系でのエントロピーと一致すること、非平衡系ではランジュバン系やマルコフジャンプ系などの非平衡モデルで確かめられている。

 こうして、第2章最後のコラム「熱力学と統計力学の関係」に披瀝された次の見解が導き出される : 既存の統計力学の枠組みの「基礎付け」は現象論的に確率した熱力学との整合性によって与えられる、というよく言われる見方は、今や妥当なものではない。「現代の非平衡系の研究においては、熱力学と統計力学は一体のものと捉えるべきである。」(ナノスケールの分子モーターや量子ドットを用いたナノ熱電デバイスなどを除外して)「マクロだけで閉じた体系を追求する必然性も特にないだろう。」

この本は古典統計のみに限っている。量子統計を含む場合は、   Ref.[32]: T. Sagawa, https://arxiv.org/abs/2007.09974

3. 宮下精二著「基幹講座物理学 統計力学」(東京図書 2020年)  上の認識が最近の標準的な統計力学の教科書に反映されているかどうかに興味が湧いて、上記の教科書を読んでみた。ただし、「第1章 序論:統計力学の考え方」のみ。まず、要領よく、等重率の原理をミクロカノニカル集団に適用し,熱力学との比較により熱平衡状態におけるボルツマンの原理、S(E)=k_B ln (W(E)) を導出する。そして、熱力学的極限と熱力学量の示量性が強調される。

 §1.7.7 では量子統計におけるKubo-Martin-Schwinger(KMS)関係式が導出される。熱力学的極限移項に伴う発散の存在のために、逆に、KMS関係式を熱平衡状態の定義として用いるというC*代数の方法に言及されている。

  §1.8では、区別可能な状態の数え上げは識別能力に依存していることに注意し、「分解能」を上げて識別能力を高めると、区別できない状態の数は減り、最終的にはエントロピーは0になると説明されている。その「最終段階」での物理理論は「熱」が取れて「(量子)力学」になる。そこで、§1.8.1では「情報量とエントロピー」が主題となり、ここで シャノンエントロピーの解説が行われる。等重率の原理と熱平衡状態でエントロピーが最大になるという要請を置くと、シャノンエントロピーがボルツマンの原理と一致することが示される。

  §1.9は「熱平衡状態とはなにか?」と題され、量子統計におけるごく最近のtypicalityの理論、ボルツマン重み波動関数熱力学的純粋量子状態理論、そして、固有状態熱化仮説(Eigenstate Thermalization Hypothesis: ETH)の意義や限界が簡潔に記述されている。そして、これらの理論が成り立つ背景にある熱平衡状態の持つ示量性の重要性が強調されている。印象的なのは、これら最近の発展において日本人研究者(H. Tasaki, S. Sugiura, A. Shimizu, T. Mori, N. Shiraishi, (引用されていないが) A. Sugita) が重要な貢献をしていることである。