物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

12年前の「新型インフルエンザ」パンデミック

2009年の5月1日の日記に以下のようなことが書かれていた。全然記憶に残っていなかった。

%%%%以下引用%%%%%

警告レベルがフェーズ5に上がり、各国で人から人への感染が広まっている。終に、大学から通達。感染者の出ている国への渡航取りやめを強く勧める。もし行った場合、帰国後は1週間自宅待機、スタッフは就業禁止!
 はい、5月中旬のコロラド行きを取りやめました。コンファレンスフィーは返ってこないらしい。航空券ももう発券されているからペイバックは期待できない。大学からの補助はいくらかはあるのだろうか?
 6月のニューヨーク行きの判断は連休明けだ。

%%%%%引用ここま%%%%%

12年前も世界的には渡航制限がされるほど深刻だった。しかし、日本での蔓延はそれほどでもなかったようだ。だからか、ほとんど記憶にない。今年の「コロナ」のことはもう忘れることはないだろう。

漢文と長唄:母と祖父の想い出

私は逆まつ毛がある上にドライアイなので、パソコンを使う仕事を長時間やっていると目が使い物にならなくなる。若い頃はその上乱視がひどくて、体は元気なのに眼性披露で何もできない、ということもあった。乱視の方はコンタクトレンズにして問題がなくなった。実は、学生時代4回生になってコンタクトレンズをしてから勉強がはかどるようになった。(遅すぎ!)
 乱視は年齢と共に改善したらしく、コンタクトは過装着で結膜か角膜がぼろぼろになって医者から禁止され眼鏡にしてもそれほど問題にはなっていない。逆まつ毛とドライアイが未だに残った問題。パソコン相手の仕事はできなくとも、かるく本を読むことはできる。

 そういうときに読んだ本の紹介。中国を深く理解したいと思い、   加藤徹さん(広大->明治大学)をよく読んでいたころがある。たとえば、怪の漢文力」。

同じく(?)中国文学者の高島俊男さんよりも加藤徹さんの方が漢字、漢文のとらえ方が日本にとって生産的であるように思った。

 実は、高校のとき国語の中で漢文だけ成績が普通だった。ちなみに、次は古文。現代文が全然だめだった。父母が詩吟の有段者で、母はその流派の会長にまでなった。毎日、李白杜甫菅原道真頼山陽あるいは乃木希典らの漢詩を詩吟で聴いていた。それがよかったのかもしれない。

 ついでに、父方の祖父は長唄の名取りで杵屋の号を持っていた。小学校のころよく歌舞伎のテレビ中継をいっしょに観ていた。先々代の海老蔵がやった助六の声を今も覚えている。この海老蔵団十郎になってすぐに亡くなった。

 母方の祖父は浄瑠璃の先生で弟子を何人も持っていた。母は詩吟だけでなく、晩年まで浄瑠璃をうなってもうまかった。これもこどものころからよく聴かされた。「三つちがいの兄さんと、、、」。

天野清「量子力学史」:量子力学における観測と因果律

天野清著「量子力学史」(自然選書 中央公論社 1973年刊)を再読したのは10年ほど前だった。(ただし、付録を除く。)やはり、量子力学の講義の準備のためだった。

以下のセクションが量子力学の核心に当たるところであろう。すなわち、

§16 量子力学における物理的量の状態の概念、

§17 観測と統計、

§18 相反補足性(Komplementaritaet)、

§19 相反補足性の概念、

§20 相互排他補足性 --- (統計力学と熱力学の関係)

ガリレイによって物理学の方法が確立して以来、実験は人間が観測したい量を計るための自然への積極的な働きかけである。そこでは、計りたい量に対応した装置が用いられる:カントは「純粋理性批判」第二版序文で、ガリレイトリチェリの実験の計画性を指摘して、自然から単に教えられる生徒でなしに、答弁を証人に強ゆる裁判官として向かうことを、言いかえれば理性が自ら自然のうちへ挿入した原理に則って自然において求めなければならぬことを、物理学における思考法の革命と呼んだ。

それは量子力学においても同じである。複雑なのは、人間が認識するには巨視的な装置を介在させ、最後には古典的記述にまで「射影」しないといけないことだ。観測過程における「電子」と観測装置との相互作用はもちろん量子力学で記述される。スクリーンでの位置の測定は、ある位置に置かれたスクリーン全体と「電子」の相互作用に他ならない。問題はそのスクリーンを構成している物質と「電子」の相互作用の記述がすこぶる複雑で あることだ。相互作用ハミルトニアンは書けても、「電子」とスクリーン分子が反応した後の黒点の巨視的な析出を量子力学的に記述することがすこぶる難しい。物理学が進めばできるかもしれない。

しかし、1点の位置観測で「波束の収縮」、などと大げさにいうのは納得できない。シュレーディンガーが適切に表現したように、そして江沢洋が強調するように、波動関数は「予測目録」である。何回も同じ実験をして何がどのような確率で起こるかを教えるものである。1回のイベントについては何もいう能力を持たない。それは量子力学埒外である。

最後の章は量子統計の基礎についてであった。フォン・ノイマンパウリ-フィールツエルザッサーが基礎的な貢献をしているらしい。フォン・ノイマンは1929年「量子測定が一般には不可逆で、系のエントロピーを増大させる。」ことを証明した。一方で彼は、量子力学因果律を破っている(?!)、という間違った解釈を強調する。

この点、天野が紹介するカントの鋭さは賞賛に値する(何を今更!):彼は、

 自然の客観的存在の前提として因果律がある

と言っている。

 量子力学ができはじめた20世紀初頭、ウイーンを中心に経験批判論が流行り、観念論的な思考傾向が支配的であったようだ。自然認識の主観的側面、自然の客観的存在を否定する傾向である。それは、若くて知的感受性が強く当時の流行思想に敏感だったであろうハイゼンベルクに典型的に見られるかもしれない。「不確定性関係」を「不確定性原理」と呼んで世界認識の曖昧さ、不確実さを過度に強調したように思われる。その「発見」に有頂天になっていたかのようでもあった。ハイゼンベルクと同年代のフォン・ノイマンもそうだったのであろう。因果律の否定は自然の客観的存在を否定するための橋頭堡であったと考えられる。

初等量子力学とナノデバイス、そしてド・ブロイの「子供じみた発想」

10年ほど前に古本屋で買った3冊の量子力学の本の想い出と感想です。

 1冊は量子デバイスへの応用を念頭においた量子力学の教科書。「通常の量子力学の教科書は原子物理や原子核物理学を題材にしており、量子(ナノ)デバイスへの応用を考えると不満が残る構成」、というようなことが書いてある。これは、私自身感じていることであった。

 たとえば、1、2次元のポテンシャル問題、井戸型ポテンシャルなどをシュレーディンガー方程式の練習問題としてやるが、その物理的リアリティは何だろう。今や、そのようなポテンシャルが量子デバイスとして作られ、その様々の特性が生かされようとしている、ということではないか? この教科書はそういうことを書いているらしい。

 残りの2冊は2巻本の入門書。最初の導入のところを詳しく読んで後はざっと目を通すだけだったが全部「読んだ」。

「ド・ブロイは物質にも波が付随していると夢想した。」、

という趣旨の文書が2カ所あった。デバイはド・ブロイの仕事を

「子供じみた」、

と評したらしい。その批判を受け、ちゃんと振幅も考慮し、波動方程式のレベルで「大人の議論」をしてみせたのがシュレーディンガーである。ド・ブロイの「物質波」のアイデアも、電子線による干渉縞発生によって実験的に検証され、ノーベル賞を受けている。つまり、子供じみた「夢想」が出発点となり、2つの ノーベル賞に繋がったのだ!

そういう「おいしい」話が今の時代にもあるだろうか? 何かそこに問題はあるが曖昧模糊としてどこからどう考え、どう概念的に整理してよいかも分からない。そんなとき、「こんなのどう?」と言ってみる。ほとんど計算せずに。力のある理論家や実験屋さんがそれを深め、検証実験をしてくれる。すると大当たり! そんな問題。 ダークエネルギーの起源とかの問題どうかな?また、宇宙の物質と反物質の非対称の起源。たぶん、ニュートリノセクターのCPviolationが原因なのでしょう。それでは、ニュートリノ混合の起源は? あるいは、関連して「世代」の起源は? これらのどれかに対して「子供じみた」素人の発想で、「こんなんじゃないかなあ?」と言ってみる。しかし、どこかの雑誌に載せてもらえるぐらいには上手に言わないといけない。

 教訓は、

「子供じみた」とか「馬鹿な」質問、アイデアをまずはどんどん勇気をもって出していきましょう、

ということではないだろうか?

朝永振一郎著「量子力学」第二巻とド・ブロイの物質波の位置づけ

量子力学の講義をしていたころ、朝永の第二巻を再読した。残念ながら、今や(今も?)朝永の第二巻を読んでいる人はあまり多くないと思う(実際、私の恩師も読んでいなかった)が、私は大学院入学前に読んで感動した記憶がある。すこし読み返して、この本は大変ユニークな量子力学の教科書であるとの認識を持った。

 ド・ブロイの物質波の理論を光の古典電磁気学レベルに対応するものとし、光の量子論をあらためて構成しなければならなかったと同じように、その量子論を構成しないといけない。それがシュレーディンガーの理論である、とする。すなわち、

ド・ブロイの物質波の概念をあくまで古典段階のものとし、量子力学としてのシュレーディンガー理論と峻別している。

 

このようなことを強調する教科書は少ないと思う。しかも、量子力学理論としてのシュレーディンガー方程式の出現するのが、第二巻をかなり読み進んでから。この教科書は本当に誰のために書かれているのだろう。教科書としては、ディラックと同じぐらい役に立たない。そして同じように名著である。

50年前の松山東高校創立記念行事:大江健三郎と喜安善一氏の想い出

母校とその前身の旧制中学校からは、正岡子規高浜虚子などの俳人や小説家の大江健三郎が出ている。伊予はどういうわけか文弱の土地である。四国の中で唯一総理大臣が出ていない。政治のような硬派なことは苦手なのである。


 私が高校1年生のとき、旧制中学創立から数えて創立90周年を迎えていた(どういう数え方をしたのか知らない。元は明教館という藩校らしいが、その創立から数えたのではないらしい。数えると創立100年を超えていた。)。その90周年記念の行事として、OB2人の講演会が体育館であった。(以下の内容は、以前大江健三郎と尾崎真理子さんのことを書いた記事

驚異の尾崎真理子著「大江健三郎全小説全解説」、しかし、大江本人の「私という小説家の作り方」の方が凄い! - 物理屋の不定期ブログ

といささかオーバラップがあります。)

 一人はその大江健三郎(33歳)、もう一人は(当時は)年配に見えた喜安善市(52−3歳)。
 大江健三郎のことは小説家として知っていたが、もう一人の喜安善市さんはどれだけ偉い人なのか分からなかった。実は最近まで存じ上げなかった。インターネットというものがあるので調べてみたら、日本で最初に制作された計算機MUSASINO-1の制作責任者だった。その他電子通信計算機関係の数多くの業績を顕彰して今や日本電子情報通信学会には喜安善市賞というものまである。確かに、大江健三郎と並び得る業績の持ち主だった。
 うううむ。残念ながら明らかに格が違う。少しでもこれら先輩に近づくように今からでももう少しがんばろう!もう遅いような気もするが。

 ちなみに、大江健三郎は確か「わが内なる子規」、というような講演をぼそぼそとやっていた。内容一切分からなかった。下向いてしゃべるのでまず聞き取れない。その講演は後でどこかに出版するらしく学校の発行している雑誌にのらなかった。その代わり、1年上級生の蒲池美鶴という伝説の秀才が内容の概略と感想を書いたものが出た。この人はその後、シェークスピア学者になって、京大の助教授、立教大学の教授を経て、現在、同を名誉教授である(2000年 『シェイクスピアアナモルフォーズ』でサントリー学芸賞受賞)

 大江の「わが内なる子規」はその後独立したエッセーとして出版されて、彼の分厚いエッセー集に収録された。それは大学に入って読んだ。読んだ記憶はあるが、内容は何も覚えていない。
 一方、喜安善市の話は内容どころか題も覚えていない。ただ、大江健三郎と違って、遠慮することなく上を向いて大きな声でしゃべっていた。講演後、担任の教師がぽろっと言ったのは、「言いたいこと言っていたなあ。あれだけの人になると怖いものが何もないんだな。」というようなことだった。喜安善市という人がどれほど偉いか知らないこちらはその教師に賛同しようもなく、むしろその教師らしくない率直な反感の表明にショックを受けていまだに覚えている。

ヒルベルト空間の「可分性」:学生時代の苦い思い出

量子力学の講義を始めたころ、基礎固めのためヒルベルト空間論関係の数学の本を読んでみた(微分方程式と固有関数展開」(小谷眞一、俣野博著、岩波書店。昔知っていたことの整理程度にはなったが、始めて知る内容になると興味が続かなくて眠たくなった。具体的に使う必要がなければもう数学の本は読めない頭になってしまっているような気がする。

ただ、「可分」の概念が最初のうちに自然に説明されていたのはうれしかった。この本が50年近く前に出版されていたらフォン・ノイマンの「量子力学の数学的基礎」をもう少し読み進められたかもしれない。

 フォン・ノイマンの「基礎」では量子力学の展開される関数空間(ヒルベルト空間)は可分でなければならないと仮定されていた。当時この意味が分からなかった。日本語の本で「可分」を説明してくれているものがなかった。何度も読み返し反芻してノイマンの説明の意味は分かるようになったのだが。

 正確には、「稠密な可算基底の存在」が仮定される。つまり、実数の集合に対して、有理数の集合のような稠密な離散系の存在が仮定されないといけない、というのだ。だから、いきなりフーリエ変換使ってはいけない、フーリエ級数から出発しないといけない、ということになる?

 それは、超関数としてのデルタ関数の導入を通常の関数を用いた汎関数列の極限として行う、ということに対応するのだろう。このような「うるさい」議論が必要になるのは、固有値が連続スペクトルになるときである。その典型例が運動量の固有値と固有状態。実は、朝永のIIが丁寧によく書けていることにあらためて驚く。波束を構成しその極限として、運動量の固有状態の規格化条件のきっちりとした議論を行っている。これはGelfandの「三組」(`rigged Hilbert space')に対応する構成を行っている。江沢は有限領域から出発して無限大の領域への極限を取る。実は、ベッセル関数の直交性などこうしないと理解できない。こういうことが系統的に「見える」ようになったのは比較的最近のことだ。

 とはいえ、当時開き直ることもできない全くの独学だった私はここで、フォン・ノイマン量子力学の数学的基礎」を読むのをあきらめたのだった。こんな導入部分で、ポシャッてしまったのだった。大学2回生の春休みだった。

この本によると、ヒルベルト空間の定義は、実は、量子力学の数学の整備のためにフォン・ノイマンによってはじめて与えられたらしい。

 また、この「基礎」の内容の数学を展開する必要があったのは、ノイマンディラックデルタ関数を認めなかったかららしい。実際、上で言及したデルタ関数型で規格化される位置の固有ベクトルや運動量の固有関数はヒルベルト空間の外にある。よく知られているように、ディラックデルタ関数は、戦後L.シュワルツによって超関数(「Distribution」)として一般に定義された。それは、関数ではなくて汎関数(の核)としてではあったが。