物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

漢文の思い出

母が詩吟をやっていた影響なのか、漢文が好きだった。高校で杜甫の「春望」を習ったときは、母が吟じてくれたりした。母は私の漢文の参考書を見て、絶句や律詩の説明がとても勉強になると、私よりも一生懸命読んでいた。詩吟の生徒を持つようになり、吟じ方だけでなく漢詩の背景知識も説明する必要もあったのだろう。

 そんな漢文フアンの私は大学に入り、教養の授業で漢文を取った。それは「史記」のある部分(忘れた!)を白文で読んでいく授業だった。大講義室の正面、一段高くなったところで老境に入ったと見える先生が大きい声で解説してくれた。その先生の名前をそれまで聞いたことなかったが、あるときどんな漢和辞典がいいか、ということをしゃべられたとき、これまでのものはいろんな不満があるが、今度作った「私のん」は一応満足のいくものだから勧める、というようなことを言われた。それは「新字源」(角川書店)だった。先生の名前は西田太一郎さん。そのときたぶん60歳か61歳。「新字源」の共編者は小川環樹、赤塚忠。私は高校時代に買っていた角川「漢和辞典」を持っていたこともあって、先生のことばに従わなかった。不届きものの私はこの先生が本物の偉い先生であるということに思いが至らず、ただの自己宣伝としか受け止められたいなかったような気がする。しかし、今手元には「新字源」(昭和47年1月20日41版発行)がある。たぶん、1年間の講義を聴いて、やはり大学の先生は高校の先生と比べるべくもなく本当に学者なんだ、ということが分り、罪滅ぼしのつもりで期末試験も終わってからではあるが購入したのではないかと思う。ちなみに、角川「新字源」はその後も何回か改訂を経て、また編者を補充していまだに有力漢和辞典として出版され続けているようだ。

西田先生は講義で今も印象的に覚えているのは「襲」の字義を説明である。これは「上から覆いかぶさる」というのが原義である、というような説明をされながら、中腰になって両手を大きく上げて、本当に何かに覆いかぶさるような恰好をされた。そして続けて、だから同じ字が「襲撃」にも「襲名」にも使われる、と言われた。

 西田先生の講義でもう一つ印象に残っているのは、その檀上の上から発する言葉が「京ことば(京都弁)」だったこと。先ほどウィキペディアで調べたら西田先生は大阪生まれらしいので、大阪弁だったのかもしれないが、それは驚くほど柔かい言い回しでとても「学術的」な言葉使いのように思われなかった。今思うと、日常使う生活のことばで学問をしゃべることができる、そのように学問を理解している、ということに衝撃を受けたのだと思う。ちなみに、その後、新入生歓迎行事として湯川秀樹さんの講演会があったが、湯川さんも「京ことば」だった。

 「漢文」の期末試験は3問ほどあって、その第2問は4,5行の白文を和訳せよ(あるいは読み下せ?)、というものだった。1年間白文の漢文をながめていたせいか、そのときは何かそれなりの解答を書いたように思う。成績が「優」ではなく「良」どまりだったのは残念だったが。最近もたまに白文を読もうとするときがあるが、1回生のときとは違いまったく歯が立たない自分を発見して、あのときの自分の頭はどうなっていたのだろう、と不思議に思う。

 しかし、以前のブログ(「漢字とは何か」、岡田英弘 - 物理屋の読書感想etc-blog)でも紹介したように、現代の中国人も、たとえば、昔の石碑などに書かれている漢文はこの私以上に「読めない」ことも珍しくないのだ。中国語と漢文は別の言語なのだろうか?