物理屋の不定期ブログ

読書感想を中心とした雑多な内容のブログ。拙著「量子力学」に関係した記事も含む。

トマス・S・クーン著「科学革命の構造: 50周年記念版 青木薫訳」のイアン・ハッキングによる「解説」を読んだ

Amazonにある宣伝文によると、この訳は、知識の進歩とは何かについての固定観念を抜本的に塗り替え、「20世紀の最も影響力の偉大な本」に数えられる名著の新版は半世紀ぶりの〈新訳〉である。また、新しい読者への案内としてI・ハッキングによる「序説━━五十周年記念版に寄せて」が巻頭に加わっている。

 私は本文は数十年前に(随分と問題があるらしい旧訳で)一応読んでいるので、とりあえず巻頭のイアン・ハッキングによる「序説」を読んでみた。この51ページもある解説は、こなれた日本語に訳されているにもかかわらず、哲学者の手になるものであり私には難解であった。まずはこんな難しい哲学的な文書をよくも訳せたものだと訳者の青木薫さんへの畏敬の念が湧いた。

1.「[パラダイム」と言う概念とウィーン学団分析哲学の影響

内容的には、私の一番の関心である「パラダイム」という用語についての解説が読みごたえがあった。驚いたのは「パラダイム」と言う用語が現代哲学者の間で使われ出したきっかけは、1930年代のウィーン学団分析哲学者として著名なルードウ”ィッヒ・ウィトゲンシュタインであったということ。たとえば、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」(1953年)にはこの言葉が何度か出てくるらしい。そして、クーンの学友でよき議論の相手であったスタンリー・カウ”ェルはウィトゲンシュタインに心酔していた。

  「クーンはしばしば、ウィーン学団とその後継者たちの哲学を完全に打倒したとか、「ポスト実証主義」の創始者だとか言われる。しかし彼は、実証主義が前提としていたことの多くを受け継いでいた。」「クーンが晩年に行った仕事は、科学原語の論理的構文論への取り組みだったということができる。」(xlivページ)

「クーンは、ウィーン学団やその同時代の人たちが前提としたことを受け継ぎ、その思想の根本的なところを不滅化したのである。」(lページ)

2.「パラダイム概念」の定義とその曖昧化

 ハッキングによると、クーンのパラダイム概念はこの書の29頁から33ページにかけてすっきりと定義されている。しかし、その後読み進めていくとどんどんぼやけていく。

3.「真理」の相対化と「社会的構成」という理念

 「二十世紀末にアメリカの学問が懐疑主義の波に洗われていたとき、影響力のある知識人の多くが、クーンは徳としての真理を否定する自分たちの仲間だと考えた。」「彼らは、心理をカッコに入れることで、真理などという有害なものは考えるだにおぞましいと、自分たちは思っていると言っているのだ。」多くの思索者が「クーンは[真理]を否定する連中を焚きつけたと確信している。」

 クーンのこの「「構造」が科学社会学に大きな推進力を与えたのは事実で」あり、「その分野の主張の中には、真理は「社会的に構成」されるという考えを強調して、「真理」を否定する立場」のものもある。しかし、「クーンは、自分の仕事のそんな展開に嫌悪感をあらわにしている。」

 「科学知識の社会学は(中略)「構造」以降に急激に成長し、今日科学論と呼ばれる分野につながった。」「クーン以降、科学についての真に独創的な思想の多くは、もしかするとそのほとんどは、社会科学的な傾向を持つようになっている。」

 「クーンはそんな成り行きに反感を持っていた。」

%%%%%コメント1%%%%%

私もこの「反感」に賛成だ。だから、このクーンの「パラダイム論」が科学事実の客観性を否定していると敢えて「誤読」し、元物理学者のT.クーンがそのように主張している、という言説を広げるための道具として使われないか、と心配する。原著が出版されたころに比べて、人文系学者も含めて一般的な科学リテラシーが相対的に低いと感じられる事例が多くみられる昨今だからなおさらだ。

%%%%%%コメント2%%

スティーヴン・ワインバーグ「科学の発見」(文藝春秋社, 2016年)の抜き書きと感想(批判的コメントを含む) - 物理屋の不定期ブログ

にも書いたように、自然法則」という観念の成立とヨーロッパ社会の構造には密接な関係がある、ということを1934年にフランツ・ボルケナウが書いている。これはクーンの(不肖の後継者である)「科学知識の社会学」の研究者たちの先駆ではないだろうか?

%%%%上のブログ記事再掲%%%

 個々の技術や自然認識においては中国をはじめとしてヨーロッパ以外の地域でも独自の発展があった。しかし、「自然法則」として普遍的な体系に整理したのは16-17世紀のヨーロッパが初めてである。それはなぜだろうか?以下、フランツ・ボルケナウのDer Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild.(1934年)(「封建的世界像から市民的世界像へ」水田洋他訳 みすず書房、1965年)やE. Zilselに依拠した広重徹の説明を紹介する(「物理学史 I」p.17-18).

   「自然は自立した存在であって、その現象は普遍的な、例外を許さぬ法則に従って整然と経過してゆくという観念があってはじめて、自然法則の探究を目的とする科学が成り立つ。」自然法則という観念は実は人類とともに古いわけではなく、16-17世紀のヨーロッパで成立したものであり、その成立においてデカルトの果たした役割は大きい(この点は、ワインバーグ「科学の発展」において無視されている)。

 実際、ギリシャ哲学においては「必然という観念はあっても、自然がそれに従う法(則)という考えはなかった。」中世ヨーロッパのスコラ学での基本カテゴリーは実体と属性、質料と形相であり、「法則というカテゴリーを欠いていた。」「ベーコンやギルバートそしてガリレオでさえ、明確に自覚的に``自然法則"という観念を形成していない。ガリレオは「法則性のことを``本性"とか``秩序"とかのことばで表している。しかし、デカルトになると、はっきりと自然にはある``法則"loisが確立されており、宇宙に存在し、生起する一切は厳密にこれに従う、という考えを表明し、自然についての学問は、まず自然の根本法則を見いだすことに努めなければならないと強調している。(「方法序説」第5部の初め等)」そして、ニュートンの「プリンピキア」において、「``現代人は、実体的形相や隠れた質をしりぞけて、自然現象を数学的法則に従わせることに努力した""と述べ」られるに至った。

 それではこの自然法則という観念の起源はどこにあるのであろうか?その起源としては二つ考えられる。「一つは、立法者としての(一神教の:TK)神が自然に課した法的規則という宗教的観念である。」「トマス・アキナスがこの考えを大成して、人間も自然も同じ(一神教の:TK)神の定めた法に従うと主張した。」自然が人間からはなれて自立していく過程の解明は近代思想史形成の重要テーマである。

 「もう一つの根は、職人たちがその技術的な仕事の中で求めた、仕事をうまくなしとげるための量的な規則である。」ガリレオはそのことに注意を払っていた。「しかし、問題は、この技術的規則という観念が、神が自然に課した法という観念といかに結びついたか、ということである。」

 その結びつきが17世紀ヨーロッパで起こったのは、「高度に発展した中央集権的な絶対主義国家が形成され」、「このような社会形態が、人々が自然をみるときのモデル、概念的な枠を提供することになったのである。すなわち、神は王に、自然法則は法律に、そして自然は理想的な法治国家になぞらえて理解されることになっていった、と解釈されるのである。」

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